生き別れた母探す旅 木川教授が映画祭で栄誉

和歌山大学観光学部の木川剛志教授が監督した中編映画『Yokosuka1953』がイタリアで開かれた第2回ヴェスヴィオ国際映画祭で、540本の応募作の中から最優秀ドキュメンタリー脚本賞に輝いた。戦後の神奈川県横須賀に生まれ、養子縁組でアメリカに渡った女性・木川洋子さんが生き別れて66年となった実の母を探すドキュメンタリー映画。今後は長編を完成させ、全国のミニシアターで上映したいとしている。

2018年、木川教授のフェイスブックに「日本の親戚を探しています。キガワヨーコという女性の母親を知りませんか?」というメッセージがアメリカの女性から届き、送り主の母、洋子さんが外国人の父と日本人の母の間に生まれ、国際養子縁組で5歳でアメリカに渡ったことを知った。手掛かりが少ない中、女性は「木川」という名字を頼りに木川教授に連絡をしたようだった。戦災孤児について調べていた木川教授は、アメリカに行って洋子さんに直接話を聞き、母親探しに協力することを決めた。

洋子さんの話では、当時日本人と外国人の間に生まれた混血児はいじめや差別を受けることも多かったが、母はいつでも優しく、洋子さんを大事にしてくれたという。横須賀では戸籍の住所を頼りに当時住んでいた人から話を聞き、市役所で当時の資料を照会。洋子さんの母がその後再婚していたことや、東京都八王子市に引っ越していたこと、占領下の日本でアメリカやイギリスの兵士と日本人女性との間に生まれた子どもの生活や、外国人墓地の歴史などとともに分かってきた。

洋子さんの母が亡くなっていることが分かってからは、墓や写真を探すために親族と思われる人や勤めていた会社の関係者に連絡し、1年近く足跡を追った。

映像は洋子さんを日本に呼ぶために始めたクラウドファンディングの返礼品として作る予定だったが、多くの人や資料を通して、さまざまなことが分かってきたため改めて製作した。長編を作る予定だったが、新型コロナウイルスの影響でナレーションの収録が難しくなったり、完成しても上映する場がなかったりすることから今回は1時間程度の中編に仕上げた。

木川教授は「なんとなく知っている戦後の混乱期がはっきり分かる映像になれば。お母さんも洋子さんの幸せを思って養子に出したはず。66年を超えて一つのストーリーがつながった」と話している。

母の記憶を語る洋子さん㊧と木川教授

母の記憶を語る洋子さん㊧と木川教授