近世用水路や中世山城 県指定文化財に2件
和歌山県教育委員会は16日、白浜町にある江戸時代の灌漑(かんがい)用水路「安居(あご)近世用水路」と、上富田町の中世山城「龍松山(りゅうしょうざん)城跡」の2件を史跡として県指定文化財に新規指定し、天然記念物の追加指定1件、史跡の追加指定と名称変更1件も発表した。今回の指定を含めて県指定文化財は580件となった。
県教委文化遺産課によると、安居近世用水路は、白浜町向平から安居に至る約2㌔の灌漑用水路。日置川から導水し、庄屋の鈴木七右衛門の主導により、文化2年(1805)に竣工した。暗渠(あんきょ=地下水路)部分があり、文化財の付属物として「安居暗渠碑」を含んでの指定となった。
県内の近世灌漑用水路の傑出した事例であり、近世の測量技術や土木技術の高さを物語る貴重な遺跡といえる。
龍松山城跡は、上富田町市ノ瀬を中心に勢力を伸ばした山本氏の本拠だった山城。山本氏は、室町幕府が将軍直属の軍隊として組織した武士集団「奉公衆」の地位にあり、龍松山城は紀南地域で最大規模を誇った。
発掘調査により良好な状況で遺っていることが分かり、戦国時代の紀伊半島の政治情勢、在地領主の支配形態とその変化を顕著に示す点で、学術上の価値が高い遺跡とされる。
天然記念物の追加指定は、かつらぎ町笠田の「十五社(じごせ)の樟樹(くすのき)」。妙楽寺薬師講境内にあり、幹周りは県内最大の13㍍超、樹齢は600年以上といわれ、1958年に県指定文化財となった。
周辺に展開する根を保護するため、2016年に土地3筆を追加指定しており、今回さらに2筆を追加指定する。
追加指定と名称変更を行う史跡は「一遍上人名号碑」。13世紀後半に時宗の開祖・一遍上人が熊野本宮に参詣した後、建立したとされる名号碑で、1969年に「一遍上人名号碑建立之地」として、新宮市熊野川町日足の碑が指定された。
近年の調査・研究により、名号碑には、すでに指定されていた「行書碑」と「草書碑」の二つがあることや、既指定地から約500㍍離れた場所に草書碑の枠石があることが明らかになったため、追加指定と名称変更を行った。
また、砕石から約500㍍下った場所にある、名号碑に関する碑文が刻まれた「磨崖(まがい)」(新宮市指定文化財)を、付属物として指定した。