親子2代で甲子園 元阪神の父ら応援
24日の阪神甲子園球場での2回戦。和歌山東は浦和学院に敗れたが、三塁側のアルプススタンドでは、和歌山東の5番として出場した中川大士選手の父で、元阪神タイガースの申也さん(48)が、家族と共に力強く声援を送った。
申也さんは「東北のバンビ」と呼ばれてアイドル的な人気を博し、1989年夏の甲子園で左腕エースとして秋田経法大付(現ノースアジア大明桜)をベスト4に導いた。翌90年にも春夏に出場。91年には阪神タイガースへ入団したが、1軍で登板をかなえることができなかった。95年に和歌山へ移り住み、阪神を退団後は県内の建築会社に就職。野球の夢は、後に息子へ託されることになる。
中川選手は幼い頃から人前で逆立ちするなど、運動能力に優れていたという。足も速く、同級生とサッカーをすると決めていたが、父の勧めで野球を始めた。米原寿秀監督(47)も「中川は足(機動力)がある」と評価する。
紀州ボーイズ時代は、玉田昌幹(まさき)監督から「気持ちが粗削り」と言われたこともあったが、今では技術も確実性も増し、和歌山東では中堅手としてレギュラーに定着した。この日、妹の果怜(かれん)さん(14)は、甲子園でプレーする兄の勇姿に「めっちゃかっこいい」と尊敬のまなざし。兄の大輔さん(22)もアルプスに駆け付け「幼い頃から野球小僧だった。けんかすることはなかったが、野球に対しては負けん気が強かった」と振り返り、「甲子園では自分のプレーを全力で出し切ってほしい」と声援を送った。
和歌山東に進学してからは、昨年秋の近畿大会で5番中堅として出場。大阪府の金光大阪に対して1打点を挙げ、勝負強さを見せた。今大会では初戦の倉敷工で4番中堅としてチームの中軸を担った。
今回の浦和学院戦では5番に打順を下げ、初戦に続いて無安打に終わった。申也さんは「全然(だめ)」と首を振り続け、終始無言を貫いた。母の綾さん(50)は試合前、中川選手に「緊張したら空を見上げなよ」と声を掛けたという。返事はそっけないものだったが、「母としてできるかぎりの励ましはできたと思う」と涙をにじませた。
試合後、綾さんは「結果を残せなかったけれど、守備では光るプレーもあった。甲子園での夢はまだ終わっていないので、夏に向けて頑張ってほしい」と期待。親子2代、家族の夢は夏に持ち越された。