紀の川市の潜在能力生かす 岸本市長に聞く

市の潜在能力生かす

 

2月27日に紀の川市長に就任した岸本健氏(51)。理想のリーダーに掲げる故・中村愼司前市長の遺志を引き継ぎ、京奈和関空連絡道路の早期実現に加え、農学部の誘致など独自色を織り交ぜた市政運営に意気込む。「躍動する紀の川市に!若者から高齢者まで安心して暮らせるふるさとに!」をスローガンに、市民の声に耳を傾け、市の発展のために全力で取り組む。

 

【岸本健(きしもと・たけし)】1970年8月3日生まれ。県立粉河高校、拓殖大学商学部貿易学科卒業。県立中学校教諭や議員秘書を務め、2003年に衆議院議員に初当選。07年から県議を約15年務めた。趣味はサウナとウォーキング。龍門山を眺めながらの散歩は気分転換の一つ。好きな言葉は感謝。好きな食べ物はおにぎりとみそ汁。

【岸本健(きしもと・たけし)】1970年8月3日生まれ。県立粉河高校、拓殖大学商学部貿易学科卒業。県立中学校教諭や議員秘書を務め、2003年に衆議院議員に初当選。07年から県議を約15年務めた。趣味はサウナとウォーキング。龍門山を眺めながらの散歩は気分転換の一つ。好きな言葉は感謝。好きな食べ物はおにぎりとみそ汁。

 

「初心忘れず」まい進

 

岸本市長は紀の川市(旧粉河町)出身。政治家を志したのは、父で元衆議院議員の故・光造氏の影響が大きい。時折、読み返すのは父の著書。地域のために汗を流した父の姿が目に浮かび、「大変やったんやな。俺もみんなのために頑張ろう」と力がみなぎる。

07年から県議会議員を約15年務め、議長も2年務めた。21年12月の前回市長選では、中村前市長の選対本部長を担い、共に市内を駆け回った。

1月に中村前市長が急逝。「次は健、頼むぞ」と生前から言われていたとはいえ、責任の大きさに一度は出馬を躊躇(ちゅうちょ)した。だが中村前市長の家族からの後押しや自身の心の声に従い、「市のために頑張らなあかん」と立候補を決断した。2月27日の市長選では1万8862票を獲得し、相手候補にダブルスコアで初当選。市政の空白を避けたいとすぐに初登庁した。

就任して約2カ月がたった。決断する場面が多く「責任の重さをいつも感じる」と話すが、市のため、市民のためにやり切るという姿勢に揺らぎはない。分刻みのスケジュールを抱えながらも全力で泥臭く、「初心を忘れず」を信条に実行する。

 

魅力発信が課題

 

中村前市長の肝いり政策の一つ、京奈和関空連絡道路の実現に向けて、誰よりも意欲を燃やす。道路は地域経済の活性化の拠点として、「紀の川IC」と阪和自動車道「上之郷IC」を結ぶ新たな高規格道路で市北部の玄関口となり、可能性を開く道になる。岸本市長は一日も早く成し遂げたいと東京の関係機関にも足を運び積極的に交渉を行う。

「早期実現へのハードルはあるが関空と市が一本でつながれば、世界と近いまちになる。なんとしても実現させたい」と思いは強い。

紀の川市は2005年の合併当初に比べ、人口が約1万人減少しており、2月28日現在では6万435人。若者が住みやすいよう、最大50万円を補助する「若者定住促進住宅取得奨励金」や子育て世代への支援として「小中学校の給食費無償化」の継続など、安心して暮らせるような施策を今後も進めていく方針で定住、移住への取り組みも積極的に行う。

市の魅力発信が課題であるとし、認知度の向上に力を注ぐことが大切と考えている。「紀の川市にはフルーツだけでなく豊かな自然や企業、人材などあらゆる潜在能力が秘められているが、生かし切れているとは言えない。まだまだ伸び代があるのでしっかりと発信して多くの人に良さを知ってもらわなければならない」と強調する。市道の修繕工事予算の倍増や地域振興券の配布などの経済対策も行い、安心して暮らせるまちを作る。

独自政策である農学部などの高等教育機関の誘致も積極的に推進。市内や県内での進学の選択肢を増やして地域に貢献できる共同事業や研究、人材を支援できる仕組みをつくろうと進めている。

誰よりも市を愛する思いが強い岸本市長だが、ワンマンで仕事をするつもりはない。子どもから高齢者まで市民が安心して暮らせるよう、より良い市政運営のために考え抜いて、自らの責任と決断で施策を実行する。

コロナ禍で現在は難しいが、今後は市内を回って住民との対話や職員との意見交換も積極的にしていきたいと考えている。「市民の皆さんと一緒になってこのまちを良くしたい」と話している。

 

市長室で思いを新たにする岸本市長

市長室で思いを新たにする岸本市長