戦災殉難者供養塔を修繕 城善建設に感謝状
和歌山大空襲の犠牲者を慰霊し、不戦と平和の祈りを後世に伝え続けている和歌山市西汀丁の戦災殉難者供養塔を、城善建設㈱(同市十一番丁、依岡善明代表取締役)が修繕した。市戦災遺族会(田中誠三理事長)が大切に手入れをしているが、1953年5月の建立から約70年がたち、台座のひび割れや碑文のかすれなどがみられていた。24日、市と遺族会から同社に感謝状が贈られた。
市は太平洋戦争中に米軍による十数回の空襲を受け、約1400人が亡くなった。特に1945年7月9日から10日未明の和歌山大空襲では市中心部が焼け野原となり、火災や熱風から避難してきた人々が集まっていた汀公園では、最も多い748人が犠牲となっている。
供養塔は、市内の犠牲者を荼毘(だび)に付し、合同埋葬した汀公園に建ち、戦後最初の公選市長である高垣善一が、大空襲の惨禍を記し、平和の悲願達成への思いをつづった碑文が台座に取り付けられている。毎年7月9日には、この塔の前で戦災死者追悼法要が行われる。
遺族会は毎月9日、供養塔を清掃し、周囲の草を引くなどの手入れを続けてきたが、時間の経過による傷みの他、そばに立つクスノキの根に押し上げられるなどして台座にはひびが入り、碑文は文字の色がかすれて読みにくくなっていた。
依岡さん(63)は高垣元市長の孫で、母は和歌山大空襲を生き延びた市民の一人。遺族会が供養塔の傷みを何とかしたいと苦慮していることを知り、修繕を申し出た。
社員と共に3月26日から作業を開始。高圧洗浄機で汚れを落とし、ひび割れは左官で埋め、碑文は彫り込まれた文字を白く塗り直し、くっきりと読めるようにした。仕事の合間を縫って続けた作業は約2カ月で完了した。
感謝状の贈呈は市役所市長室で行われ、尾花正啓市長と田中理事長(86)が依岡さんに手渡した。
依岡さんは、母親から和歌山大空襲で隣家の友人や親類が犠牲になったと聞いていることを紹介し、「若い人に引き継いでいかないといけない。世界平和を願いながら、今後も供養塔を守っていきたい」と語った。
田中理事長は「いろんなことが忘れ去られていく世の中だが、戦争は絶対に忘れてはいけない。(供養塔のように)建っているもの、書いたものがきれいに立派にあることが大切。困っているところに手を差し伸べていただき、大変喜んでいる」と話し、尾花市長は「平和の尊さを語り継がねばならない。心から感謝している」と述べた。