福地さん「鶴の傘鉾」を修復 和歌祭で披露

401年目を迎える紀州東照宮(和歌山市和歌浦西)の例大祭「和歌祭」の練り物の一つ「鶴の傘鉾」の修復作業が完了し、14日に行われる同祭で、美しくよみがえった姿が披露される。

鶴の傘鉾の修復を手掛けたのは和歌山市の堂宮大工、福地稔さん(45)。福地さんはこれまでに、高野山の金剛三昧院多宝塔や出雲大社などの国宝、旧中筋家住宅や粉河寺大門などの重要文化財をはじめ貴重な文化財の保存修理に従事。2011年の紀伊半島大水害で被害を受けた熊野那智大社、15年のネパール地震で全壊した王宮の復旧にも関わってきた。

鶴の傘鉾は和歌祭の創始以降、約400年間途絶えることなく受け継がれてきた練り物の一つ。1646年に完成した住吉広通筆「東照宮縁起絵巻 第五巻」(紀州東照宮蔵)にも描かれている。

紀州東照宮によると、現在の鶴の傘鉾がいつ制作されたかは不明。鶴の傘鉾の運営に関わる地元の人たちが長年にわたり修理を重ね、大切にしてきた。しかし、彩色や木の部分の傷みは進む一方で、今回、福地さんに本格的な修復を依頼した。

桜の木でできた鶴の胴体をなでると、滑らかな凹凸を手のひらに感じる。これは何種類ものノミを使って彫った証しだという。福地さんは「当時の職人の仕事ぶりが分かる」と話す。

修復にあたって参考にした資料は、江戸期の絵巻や明治から大正期にかけての古写真など。図面は残っておらず、全て手探りからのスタートだったが、福地さんは、「一つひとつ昔の人が僕に教えてくれる」とし、当時の職人と会話するかのように、丁寧に解体しながら元の姿を探った。中には再利用できる部分もあったが、傷みが進んだ羽や足などは新たに制作した。鶴が乗る和傘作りは福地さんにとっても初めての作業。竹製の骨作りから試行錯誤した。

福地さんは「今度は僕が次の世代の人に技術をつなげていく番。ヘタな仕事は絶対にできない」とほほ笑む。

完成した鶴は、両翼を広げ、今まさに力強く飛び立とうとする勇壮な姿を表現。羽の一枚一枚に角度や反りの変化をつけ、どの位置からでも美しく見えるよう工夫した。

今回の修復には、福地さんを中心に、岐阜の和傘職人や日光東照宮の国宝・陽明門の彩色などを手掛けた小西美術工藝社(東京港区)の職人らも協力。伝統技術を受け継ぐ匠(たくみ)の技の集大成となった。

地元の人や有識者らと話し合いをしたという福地さんは「400年以上の歴史ある祭りを、守って続けている人たちがいる。その思いに応えられれば」と力を込める。

和歌祭は14日、午前11時から神輿(みこし)おろしが行われ、鶴の傘鉾が練り歩く渡御行列は正午からとなっている。

 

修復を手掛けた福地さん