丁寧に、辛抱強く復元 磯田氏が和歌祭語る

和歌山市和歌浦地区で約400年の歴史を持つ紀州東照宮の大祭「和歌祭」を継承する和歌祭保存会が、第45回サントリー地域文化賞を受賞した。多様な芸能の復興を通して、伝統の祭りの活性化に取り組む活動が高く評価された。受賞発表の記者会見で選評を語った、選考委員の一人、国際日本文化研究センターの磯田道史教授の発言を紹介する。

江戸時代、徳川家への近さをアピールするために、大名たちはこぞって東照宮を勧請し、大きな城下町にはかなりの割合で東照宮がありました。一般の領民が徳川家康を感じる場面は、和歌祭のような東照宮祭礼だったと思いますが、明治維新になり、家康の顕彰ですから、昔ほど大事にされなくなっていきました。

ところが、さすがに御三家の町ですね。和歌山はそうはさせじと、昔の姿を時代考証しながら継承してきた。ここが大事です。和歌山大学の方などにもご意見を頂いています。

和歌祭の資料はかなり残っているようですが、とはいえ、文字に書いてあり、さらに絵があったとしても、背中までは全部描いていなかったりするわけで、考証はなかなか大変です。この大規模な祭りを丁寧に、辛抱強く復元している様子が分かったので、選考委員会で意義を申し上げましたら、皆さんが賞を出そうということで、決まりました。

家康の一つの特徴として、彼ほどたくさんの国々と外交関係を結んだ国際的な政治家は少ないわけです。中国もメキシコも東南アジアもヨーロッパ諸国も、カトリック国もそうでない国とも外交関係を持ちました。

(外国人を模した演目「唐人」について)復興の過程で、家康の国際性ということも考えているのか、装束の考証などいろんなことをして、留学生の方も加わっています。今の社会に生きている祭りとして再生している姿も、非常に感動的なことでした。

和歌祭は前近代芸能の生ける博物館と言っていいと思います。雅楽の要素があるかと思うと、能楽の基になる田楽の踊りの要素が入っていたりします。鬼が出てきますから、追難(ついな)、節分の豆まきのような芸能も集められているわけです。

おそらく、天下を統一した神君だから、博物館のように芸能がぎゅっと集まった姿を見せることが、力を見せ付けていることでもあり、「株」を持った人が祭りに参画することで、徳川社会の中で町の人々の承認を受けるという位置付けがあったのではないでしょうか。

いま、東照宮祭礼のほとんどは縮小する中、ここまで丁寧に復元に執念を燃やしている地域は、そうありません。

和歌祭と保存会の活動について話す磯田教授

和歌祭と保存会の活動について話す磯田教授