110歳天寿をまっとう 県内最高齢中野さん
和歌山県内最高齢だった紀の川市貴志川町の中野エイさん(110)が9日、老衰のため自宅で息を引き取った。明治から令和にかけての激動と混迷の時代を生き抜いた生涯だった。エイさんのおいで、大阪府茨木市に住む中野富生さん(68)は「エイさんの老いは理想の姿。そんな人が身内にいるのがうれしく、手本にして生きていきたい」としのんだ。
エイさんは1912年、9人きょうだいの第5子(三女)として同町に生まれた。生涯を独身で通し、町内で80歳までたばこなどの小売店を営んだ。富生さんによると、晩年はエイさんの親戚が気に掛けて時折家を訪ね、看護師やヘルパーも一日6度、訪問していた。最期はひっそりと眠るように穏やかな死を迎えたという。
エイさんは若い頃から歌を作るのが趣味だった。2011年7月7日には歌集『名も知らぬ花』を発行。出版業を営む富生さんが、A5サイズの48㌻の一冊にまとめた。題名はエイさんの歌「朝ごとに一輪咲きて老いの身をいたわりくれし名も知らぬ花」から取った。歌集には「暁に誓いし挑戦あと六年百五となるまであの世を向かず」という99歳の時の決意の歌の他、「眠れぬ夜話す相手のなきままに般若心経となえつ眠る」など、孤独感がにじむ歌も収められている。
2011年3月11日の東日本大震災時には「大波に呑まれ人家の悲惨さに顔を覆いてわっと泣き伏す」と詠み、テレビで大津波を見て心を痛めた様子がうかがえる。
また「独り居のまわりの人のあたたかき心に触れしきょうの買い物」と、日常で感じた喜びや感謝、小さな出来事も歌に書き残した。
富生さんにはエイさんとの忘れられないエピソードがある。富生さんが実家で暮らし、実母の栄子さんが入院した頃のこと。エイさんはたばこ店を一時休業し、富生さん宅の家事や手伝いを6カ月間続けて支えてくれたという。富生さんにとってエイさんは何でも話せる存在。さばさばした性格と少しロマンチストなところが好きだった。
富生さんが高校を卒業して京都にいる頃、エイさんから一通の手紙が届いた。開けると「一番楽しかった」とその当時に過ごした思いが素直に記されていたそう。
富生さんは言う。「死はいずれ、一人で迎えるもの。その現実を直視したエイさんが残した言葉の数々は、『敬老』などという言葉をはねつけて凛としている」
エイさんは富生さんや親戚たちの心の中で、これからも生き続けるだろう。