和歌山城と姉妹城提携 「大阪城」の歴史
ことしも残すところあと2カ月ばかり。年末に向けて1年のクライマックスの時期といってよいかもしれない。1月から放送されている大河ドラマ「真田丸」は九度山から大阪城へと舞台が移り、こちらもいよいよクライマックスだ。
冬の陣直前、大阪城の南方に真田幸村により築かれた「真田丸」。徳川方との激戦、幸村の最期が描かれていく。
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大阪城周辺はかつてから淀川・旧大和川と瀬戸内海をつなぐ水運の拠点であり、かつ、京都や住吉・堺をつなぐ陸運の要所として発展してきた。上町台地の北端の小高い丘に位置し、台地が形成する坂に沿って町が作られた経緯から「大坂」の名が付いたという。
大阪城が築城される前は石山本願寺があり1580年に石山合戦で焼失。信長の死後、天下人に名乗りを上げた秀吉により築城を開始し1585年に天守が完成している。その際活躍した秀吉の弟・秀長が和歌山城の築城に着手した経緯があり、昭和60年11月2日、大阪城と和歌山城が姉妹城提携を結んでいる。
秀吉により築城された大阪城だが大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡と同時に焼失。その後、徳川が大阪城代を置き西日本地域の支配の拠点となった。その際、豊臣時代の地面を高さ数㍍に及ぶ盛り土で覆ったため豊臣時代の遺構は地下に埋没した。2代目の天守は1626年に完成したが1665年、落雷により焼失している。
現在は江戸時代に建てられた櫓や門、蔵など13棟が現存し、城跡は国の特別史跡に指定。1928年(昭和3年)、当時の大阪市長が復興を提案し3代目の天守閣が1931年(昭和6年)に完成。空襲を逃れ、1997年(平成9年)国の登録有形文化財になった。(次田尚弘/大阪市)
次週からシリーズで大阪城周辺の真田幸村ゆかりの地を紹介します。