友情のメダル80年 桐蔭・西舞鶴高が交流

1936年のベルリン五輪の棒高跳びで同記録の2位、3位となり、銀と銅のメダルを二つに割ってつなぎ合わせた「友情のメダル」を作ったことで知られる名選手、西田修平と大江季雄の母校である県立桐蔭高校(和歌山市吹上、岸田正幸校長)と京都府立西舞鶴高校(京都府舞鶴市、長島雅彦校長)は10日、このエピソード誕生から80年を記念するクラブ交流会を桐蔭高で開き、新たな友情を誓った。

西田は那智勝浦町出身で、旧制和歌山中学校(現桐蔭高)を卒業後、早稲田大学在学中の1932年にロサンゼルス五輪の棒高跳びで銀メダルを獲得。ベルリン大会で西田と大江は4㍍25の同記録となり、「日本人同士で争うことはない」と2、3位決定戦を辞退し、帰国後、銀と銅をつなぎ合わせたメダルを作成した逸話は、教科書にも採用された。

交流会の記念セレモニーでは、両校の生徒らが「友情のメダル」について記録映像で学んだ。

桐蔭高陸上部主将の小池佑真君(17)は「勝敗第一のオリンピックの中にも、人の心の広さを感じさせる温かい交流があることを忘れてはいけない」、西舞鶴高陸上部主将の松下修也君(17)は「80年前の交流があってこそ、現在の私たちの交流が実現した。貴重な機会を大切にしたい」とそれぞれあいさつした。

交流会のきっかけは、岸田校長が5月に埼玉県で開かれた全国高校長会でキャリア教育について発表した際、OBとして西田の名前を挙げたことを、西舞鶴高の長島校長が記憶にとどめ、後日電話で熱心に交流を申し込んだこと。

長島校長は、大江が昭和16年にフィリピンで戦死したことや、西舞鶴高に建立されている大江の銅像の除幕式には西田も出席したことを紹介。「西田さんは銅像に向かい『よい選手が育つのを見守ってくれよ』と声を掛けていた」と当時のエピソードを話し、「きょう、両校の新たな絆が結ばれることは、西田さん、大江さんをはじめとする多くの先輩の思いを実現したことになる」と強調した。

両校の新たな絆の証として、西舞鶴高からは「友情のメダル」のレプリカと、西田と大江が立つベルリン五輪表彰式の写真、桐蔭高からは握手をする2人の手を模したクリスタル製のオブジェが記念品として贈られた。

その後、両校の生徒は陸上、バスケットボール、卓球、ソフトテニスのクラブごとに、桐蔭高や紀三井寺競技場で合同練習や交流試合を行い、親交を温めた。

記念品を手に(左から)長島校長、松下君、小池君、岸田校長

記念品を手に(左から)長島校長、松下君、小池君、岸田校長