家康紀行(26)「新居関所」と国道42号
前号では東海道三大関所「気賀関所」と、開設から明治維新まで12代に渡って関所を管理した近藤氏と紀州徳川家との歴史を取り上げた。今週はもう一つの三大関所である「新居(あらい)関所」を紹介したい。
「新居関所」は慶長5年(1600)幕府直轄の重要な関所として設けられた。浜松市の西隣、浜名湖の河口を挟んだ湖西市に位置する。高潮や東海地震の津波被害を受け2度移転するも、安政5年(1858)に再建された建造物は学校や役場の庁舎として使われ現存。当時の建物が残る日本で唯一の関所として、大正10年(1921)国の史跡に登録。昭和30年には国の特別史跡に指定。渡船場の石垣や柵、大御門などが復元され、東海道の要所として風格ある佇まいが特徴。
関所近くの「新居宿旅籠紀伊国屋」は元禄16年(1703)に開業した紀州藩の御用宿となった旅籠屋。昭和30年代に廃業されるまで250年にわたり営業を続け、現存する建物は明治7年築。館内は資料館になっており、当時の東海道のにぎわいや文化を紹介している。
浜名湖を渡るとすぐ浜松市。以前、本コーナーで取り上げた国道42号(国道1号との重複区間)の東端となる「篠原交差点」までわずか数㌔の距離だ。新居関所と国道42号に関係があるのではないかと筆者の記者魂を熱くしたが、国道42号は和歌山市と三重県津市の区間であったものを、平成5年、渥美半島と紀伊半島を横断し、さらに紀淡海峡を超え四国・九州へと至る国土軸となる道路の構想が計画された際、現在の区間(和歌山市県庁前交差点~浜松市西区篠原交差点)に延伸されたという。偶然であろうが、東西を隔てる関所を目前に主要な道路の境が設定されたことに浪漫を感じずにはいられない。
(次田尚弘/湖西市・浜松市)