和歌山県関係は35人 危険業務叙勲
危険性の高い業務に精励した人をたたえる第18回 「危険業務従事者叙勲」 (29日発令)の受章者が公表され、 県関係は、 61~73歳の35人が選ばれた。 5月上旬から6月上旬に県庁などで表彰の伝達式が行われる(年齢は満年齢)。
◇瑞宝双光章=岩橋喜之(73)元警視正、 和歌山市岩橋▽戎嶋操(72)同、 和歌山市東高松▽岡垣内巖(73)元県警部、 和歌山市中島▽狩谷雅章(73)元警視正、 和歌山市今福▽川畑秀雄(73)同、 田辺市▽岸谷忠彦(69)元和歌山市消防監、 岩出市根来▽嶋津征義(72)元警視正、 和歌山市直川▽新名俊則(70)元大阪府警部、 湯浅町▽津田正視(65)元田辺市消防監、 田辺市▽寺下克行(69)元和歌山市消防司令長、 和歌山市栄谷▽畑中義秋(73)元県警視、 紀の川市桃山町元▽蜂木理靖(69)元和歌山市消防監、 紀の川市畑野上▽本多博(72)元県警部、 和歌山市紀三井寺▽松本仁男(72)同、 和歌山市坂田▽原忠雄(73)同
◇瑞宝単光章=後忠隆(73)元県警部補、 和歌山市園部▽蔭地陽一郎(64)元法務事務官、 和歌山市狐島▽柏木みどり(63)元法務事務官、 和歌山市新庄▽木村勲(72)元県警部、 和歌山市上野▽鍬初嘉昭(66)元海南市消防司令、 海南市重根▽神前暢之(73)元県警部、 和歌山市内原▽児玉光廣(63)元法務事務官、 和歌山市島▽征四郎(72)元県警部、 田辺市▽坂本昭十四(73)同、 有田川町▽杉本正美(64)元准空尉、 串本町▽髙岡良次(61)元准陸尉▽田中豊久(63)元法務事務官、 和歌山市新在家▽中川次雄(72)元県警部、 和歌山市野崎▽中田忠夫(72)同、 岩出市紀泉台▽野昭生(73)同、 橋本市▽長谷川光輝(73)元県警部補、 和歌山市田尻▽平松孝章(72)同、 紀の川市貴志川町▽南和千代(73)元県警部、 古座川町▽山本雅信(73)同、 和歌山市延時▽吉本師郎(72)同、 田辺市
思い出される飲酒事故「警察に入って良かった。 悔いはない」 。 田辺市の高校を卒業後、 すぐに警察官への道を歩み始めた。
初めて配属されたのは新宮署。 地元に比べて派手な印象を受けた。 和歌山市へ配属されたのは昭和38年、 県警本部の機動隊や交通関係などに深く携わった。 数々の警察署で地域を支えながら平成12年、 県警本部教養課で定年を迎えた。
警察官人生の中で印象に残っているのは、 新宮署に勤務していた昭和37年ごろにあった飲酒運転者のひき逃げ事件だ。 午後8時ごろに低学年の児童がはねられたと聞き、 逃走した犯人のトラックを追い掛けて即検挙。 運転手は酒に酔っていた。
その後、 児童が搬送された病院へ向かうと、 子どもを抱えた父親に無念の怒りをぶつけられた。 その当時のことは 「今でも思い出す」 と振り返る。 飲酒運転が厳しく取り締まられるようになってからは特にその出来事がよく思い出されるという。
受賞については、 「42年間、 こつこつ一生懸命やってきたから頂けたのかなと思う」 と謙虚に喜びをかみしめている。
人への思いやり忘れず
昭和32年、 18歳の時に警察官を拝命した。 5年後、 和歌山西署でパトカー係だった際、 海南市内の質店で強盗事件が発生。 犯人がタクシーで大阪方面へ逃走したと聞き、 機転を利かせ、 和歌山に戻るタクシーに片っ端から聞き込みした。 予想は的中。 得た情報から泉南地方の宿泊施設を当たって犯人を突き止め、 県警から表彰を受けた。
妻のミサ子さん(74)は 「お手柄ということで新聞に載って、 記事は大事に持ってた。 仕事の話をしない人やけど、 うれしかったのでは」。 部下にも必ず敬称を付け、 人への思いやりを忘れなかった。
昭和40年ごろ田辺署で刑事をしていた時、 無理心中した一家の遺体が岩代に流れ着いた。 女児の姿もあり、 自身の生まれたばかりの長女と重ね合わせた。 「せめて、 着るものだけでも」 と自宅から持ってきた長女の肌着をまとわせた。 刑事生活が長く人の死をたくさん見てきたが、 特に胸を締め付けられたという。
心筋梗塞を患い、今は寝たきりの生活を送る。 長女の千珠さん(47)は 「仕事一筋で本当に真面目。私も働くようになって父の偉大さをつくづく感じる。家族の誇りですね」と笑顔で話している。
「生まれ変わっても消防」
高校卒業後の昭和37年、和歌山市消防局に拝命以来、安全安全なまちづくりのために尽力してきた。
消防人生での大きな功績は、昭和47年から所属した予防課などでの業務。当時はまだ必要性が認識されていなかった自主防災の大切さを、自治会や企業などに地道に訴え、自主防災組織の礎を築いた。市民との信頼関係を築くためなら昼夜問わずに企業や自治会長宅などを訪問し納得するまで話し合った。
ここ数年でクローズアップされるようになった「寝たきり」や「一人暮らし」の高齢者世帯にも着目。市と一体となり他の自治体に先駆けて火災報知器の無料設置を推進した。「取り付けの予算が取れなかったため、年間1000個の報知器を自分たちで取り付けて回ったよ。朝も晩もなかったね」と振り返る。
20代の頃には、消防隊員としても活躍した。当時あった建具工場の大火災では、次々に資材を飲み込んでいく火を消すため、決死の覚悟で工場の中に飛び込んだ。後ろから忍び寄る炎に気付かず、先輩の「逃げろー」との声で一命を取り留めたこともあった。
受章に関しては「先輩、同僚、まちの人の協力があったから」とし「生まれ変わっても消防だよ」と笑顔。