京都、江戸にも「和歌の浦」があった?
日本の都だった京都と江戸に「和歌の浦」があることを紹介する歴史座談会「京にも江戸にも和歌の浦」の第1回が26日、 和歌山市和歌浦中の県公館で開かれた。 市民団体 「和歌の浦歴史案内人の会」 が主催。 同会の梶川哲司代表が 「新(にい)玉津島神社と北村季吟(きぎん)」 と題して講演し、 参加者33人と語り合った。
京都にある新玉津島神社は、 藤原俊成が1186年、 和歌の浦の玉津島神社の祭神の一人で和歌の神である衣通姫 (そとおりひめ) を勧請し創建したとされる。
梶川代表は俊成が勧請した理由として、 「万葉集では 『風光明美な地』 だった和歌の浦のイメージが、 新古今和歌集では 『和歌を詠む風雅な世界』 に変化した」 と指摘。
「新古今の頃、 和歌が天皇により盛んになった。 その中心的役割を果たしたのが俊成。 竣成は、 和歌の浦に行けないのでせめて和歌の浦の神様をお祭りしたいと思った」 と話した。
また、 江戸時代の国文学者で歌人の北村季吟が、 この新玉津島神社の宮司になったこと▽憧れていた和歌の浦、 紀州の玉津島を実際に訪れて歌を詠んだこと▽その後、 新玉津島神社にミニ和歌の浦の庭を造ったことを紹介。
季吟が紀州で詠んだ和歌に登場する吹上の浜の 「すだれ貝」 や、 蟻通明神についての興味深い謎解きも行った。
さらに梶川代表は 「柳沢吉保が、 江戸に和歌の浦を模した大名庭園六義園 (りくぎえん) を造るが、 そこには季吟が大きく関わっている」 と話した。 六義園については第2回 (ことしの夏開催予定) で取り上げるという。
問い合わせは同会事務局の大谷さん (℡073・444・0830)。