京奈和道紀北東道路が開通 「大和街道」の原点と歴史
本日午後3時に開通する京奈和自動車道紀北東道路(紀の川IC―紀北かつらぎIC)。国道24号線の渋滞緩和や救急搬送の時間短縮、高野山などへの観光客増加など、地元の皆さんにとって待望の道路であることは本コーナーでも紹介してきた。
古くから和歌山と大和を結ぶ交通の要所として大勢の人々が行き交った「大和街道」は、京奈和自動車道の南を並走する形で和歌山と五條を結んでいる。「大和街道」は大和朝廷が成立した頃、都と各国を結ぶルートとして誕生。歴代の天皇が行幸したとされ、沿道にある船岡山、背の山、飛越石などは万葉歌に詠まれている。
大和街道の起点は和歌山城の北に位置する京橋。江戸時代になると参勤交代のルートとしてにぎわい、ここから歴代藩主が240年の間に97回も往来したという。現在は、街道に沿う形で整備された国道24号線の一部において、愛称として「大和街道」が使われているが、現在もその面影を残す場所がある。
例えば、紀の川市黒土(旧打田町)交差点から北へすぐの所に「大和街道」と書かれた石碑が立っている。近年設置されたものであるが、「わかやま―やまと」の刻印が印象的。周囲の道路は乗用車が対向できない程の狭さではあるが、石造りの側溝や街並み、田園風景が、かつてのにぎわいを感じさせる。
京奈和自動車道は平成27年度内の県内全線開通を目指し整備が進んでおり、残す紀北西道路が開通すれば、この石碑の通り「和歌山―大和(五條)」がつながる。今後、かつてから和歌山と各地を結んできた街道に沿った高規格な道路の整備により、奈良や京都と一体となった歴史的な街道、地域としての再認識がされ、新たなにぎわいにつながることを期待したい。
(次田尚弘/和歌山)