エ号遭難遺跡と湯浅党城館 国史跡に指定へ
国の文化審議会(佐藤信会長)は20日、明治期の海洋交通と海難事故に関する「樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡」(和歌山県串本町)と、中世に紀伊国で大きな勢力を誇った武士団に関する「湯浅党城館跡」(湯浅町・有田川町)を国指定史跡とするよう萩生田光一文部科学大臣に答申した。今回を含めて県内の国指定史跡は30件(うち特別史跡1件)となる。
樫野埼灯台は、県最大の島・紀伊大島の東端、樫野崎の海抜約38㍍の高台に位置する。イギリス人技師のR・H・ブラントンが設計した日本最初期の石造灯台で、明治3年(1870)6月10日(旧暦)に初点灯した。良好に保存され、現在も現役で機能しており、貴重な明治初期の交通施設として評価されている。
樫野崎沖で同23年(1890)9月16日に発生したのがエルトゥールル号遭難事件。オスマン帝国(現トルコ)のフリゲート艦・エルトゥールル号が台風により遭難し、500人以上の乗組員が死亡した。紀伊大島の住民が献身的に救助にあたり、後に日本・トルコ友好の原点とされるようになったことで知られる。
史跡指定予定面積は8万6237・69平方㍍。構成文化財は、エルトゥールル号が衝突した岩礁「船甲羅(ふなごうら)」、乗組員らが樫野埼灯台の灯火を頼りに泳ぎ着いた「遭難者上陸地」、船甲羅と灯台の中間地点にあり、犠牲者が葬られた「遭難者墓地」など。
近代の大規模かつ国際的な海難事故、その後の防災意識、両国の交流、慰霊の歴史を明らかにする貴重な遺跡となっている。
「湯浅党城館跡」は、平安時代末期から南北朝期の紀伊国で勢力を持っていた「湯浅党」の遺跡。
湯浅党は、豊富な文献資料により、西日本における中世前期の武士団の実態が分かる事例として調査研究がなされてきたが、拠点となる城館の調査はほとんど行われてこなかったため、2016年度から有田市、湯浅町、有田川町の3市町が連携し、湯浅氏「一門」の本拠である湯浅城跡、婚姻や養子関係によって結び付いた「他門」の代表的な存在である藤並氏の本拠地、藤並館跡などの発掘調査を実施した。
湯浅城跡は戦国時代に改変されているものの、築城時期が13世紀にさかのぼることが確認され、湯浅氏により縄張りが形作られた可能性が高まった。藤並館跡では、現存する土塁の下から13世紀後半にさかのぼる土塁が検出され、館の基本構造は藤並氏の時代に造られ、戦国期にかけて改変が繰り返されたことが明らかになった。
史跡指定予定面積は5万3625・50平方㍍。中世前期の武士団の在り方を知る上で重要な文化財となっている。