熊野御幸を令和に再現 城南宮で出立式
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」が来年で登録20周年を迎えることを記念し、和歌山県は9日、平安時代の上皇や女院、貴族らが熊野三山を参詣した熊野御幸(ごこう)を再現する「令和の熊野詣」出立式を、京都市伏見区の城南宮(鳥羽重宏宮司)で行った。岸本周平知事が上皇、俳人の黛まどかさんが女院の役を務め、往時をほうふつとさせる厳かな儀式に臨んだ。
城南宮は延暦13年(794)の平安京遷都の際、国の守護や都の安泰を願って都の南に創建されたと伝えられる神社。平安時代後期には、白河上皇や鳥羽上皇が周辺に城南離宮を造営し、院政の拠点とした。
離宮の御殿は、熊野詣の前に肉食や酒を断ち、品行を慎んで心身を清める「精進潔斎(しょうじんけっさい)」の場所にも使われ、上皇や貴族らは、この地から船に乗り込み、淀川を下って熊野御幸に出発したという。
白河、鳥羽、後白河、後鳥羽の4人の上皇は、約150年の間に90回以上も熊野御幸を行い、これがきっかけとなり、日本中の多くの人々が熊野を目指すようになったとされ、現代まで歴史を刻んでいる。
県は今月から来年にかけて、語り部の案内のもと、参加者が白装束を着て古道を歩く「熊野古道リレーウオーク」を開催する。来年3月までに紀伊路約80㌔を8回に分けて歩き、来年度はさらに、熊野三山へと向かうルートのウオークが計画され、今回の出立式が取り組みのスタートとなった。
出立式は、鳥羽上皇と待賢門院の熊野御幸(1134年)を想定し、城南宮が記録を基に1998年に再現したもの。
上皇役の岸本知事、女院役の黛さんが真っ白な浄衣に身を包み、神楽殿に着座すると、その前の庭で陰陽師が祭文を奏上し、上皇と女院が解縄(ときなわ)、散米などの作法を行い、ヒノキのつえを受け取った。
聖護院門跡の宮城泰年門主が先達となり、岸本知事や黛さんは、北面の武士や公卿、山伏、白装束の一般参加者らと共に、総勢約60人の行列でゆっくりと歩き出し、境内にはほら貝の音が響いた。
出立式を終えた岸本知事は「1000年以上の時の流れと人の営みのつながりを感じて、大変感動を覚えた」と振り返り、「20周年を期して、できるだけ多くの人に和歌山に来ていただきたい。県民も素晴らしい和歌山に誇りを持っていただき、一人ひとりが宣伝大使になって、いろんな人を和歌山に呼んできてもらいたい」と期待を寄せた。
黛さんは「これほどまでに歴代の上皇たちを引き付けてきた、熊野の底知れない魅力のようなものを実感した。草木にまで神が宿るという日本人の心、精神の全てが熊野に見られる。日本人の本質、文化の深いところを知るためにも、熊野に来て体感してもらいたい」と話した。
儀式の後、一般参加者は大阪府北部の枚方市に移動し、大阪市の天満八軒家まで、淀川の川船下りを楽しんだ。