震災後、交流13年 宮城から初の来和
東日本大震災の発生から11日で13年がたった。地震や津波で大きな被害を受け、和歌山市の青年団体有志らと交流を深めてきた宮城県のメンバーが、先月初めて和歌山を訪問。震災以降、毎年12月末に東北へ和歌山のミカンを届け、交流を重ねてきた同市の高垣晴夫さん(61)は「和歌山へ来てくれたことが何よりうれしく、良かった。これで、相互の『交流』になった。みんな元気になってきたんやなと思う」と感極まった様子で再会を喜んだ。
始まりは2011年12月、高垣さんが更生保護のボランティア活動を通じて交流のあった宮城県石巻市の仲間に、ストーブとミカンを届けたこと。翌年からは毎年、和歌山市青年団体協議会の有志らと県産ミカンをワゴン車に積んで東北へ向かい、現地で「みかん狩り運動会」を開くなどして絆を深めてきた。
ミカンは、「運動会」に参加する子どもから高齢者まで幅広い世代に喜ばれ、年末恒例の催しに。最初に届けたミカンは10箱だったが、多くの人の協力を得て、今では1・2㌧になった。
毎回、別れ際に交わす「また来年ね」というやりとりに、数年前からは「今度は和歌山へ行くよ」という言葉が聞かれるようになった。
2月上旬に和歌山を訪れたのは、青少年をサポートする活動をする宮城県BBS連盟や東北福祉大学の学生ら6人。この日、一行の姿は和歌山市和歌浦南の片男波海水浴場にあった。
津波から「逃げる」 被災地の教訓生かす
向かったのは、津波の高さを示す看板が設置された場所。被災地では、津波からの避難をためらい、多くの命が犠牲になった。看板は、近い将来、南海トラフを震源とする巨大地震の発生が懸念されている和歌山の人にも「津波からとにかく逃げることが大事」という被災地のメッセージを伝えようと、市青年団体協議会が2017年に設置したもの。
同地区は南海トラフ地震が起きた際、46分で津波が到達し、5㍍以上浸水すると予測されている。津波到達の高さがイメージしやすいよう、また、子どもたちにも親しんでもらえるようにと、キリンのイラストに「僕より高いつなみがくるおそれがあるよ!!」と書いて知らせている。
高垣さんは「震災後に東北へ行った時、まちには色がなかった。復興で少しずつ色を取り戻し、人の笑顔も本当の笑顔に変わっていった」とかみ締めるように話す。
ただ、もちろん「13年ではとても心が癒やされるものではない」との思いもある。被災地で語り部の活動を続ける人と関わる中で、つらい記憶と向き合い、生きていることが心の負担になっているケースもあることを痛感するという。「災害に対する無知や偏見をなくす必要がある。生きているということが尊いんだと思える交流を続けられれば」と高垣さんは話す。
宮城県BBS連盟の森義道会長(70)は「毎年ミカンを届けてもらっていることは大変ありがたく、いつか和歌山へ行きたいという思いがあった」と感謝。「災害を一つのきっかけに、心の絆、助け合いや信頼関係は、より強いものになった。地域は違っても課題を共有し、何かあったときに助け合えるような関係を今後も大切にしていきたい」と話していた。