先人が暮らした木曜島 県人会1周年で訪問

オーストラリア・木曜島の和歌山県人会創立1周年記念式典への出席などのため、濱口太史県議会議長(当時)や岡澤利彦県国際担当参事ら10人の訪問団が5月下旬、同島を訪問した。かつて県出身者が数多く移住し、危険なダイバーの仕事に従事した歴史がある地で、自らのルーツを大切にする県人会とふるさと和歌山の交流を発展させていくことを確かめ合った。

県によると、オーストラリア北岸の木曜島やブルーム、ダーウィンなどの地域には、1880年代から昭和初期にかけて多くの日本人が渡航。移民の目的は高級ボタンなどの原料となる白蝶貝の採取で、オーストラリアとニューギニア島との間、トレス海峡にある木曜島では1897年、全従事者約1500人のうち900人が日本人、そのうち8割を和歌山県人が占めた。

特に串本町や新宮市など紀南地域の出身者が多く、優秀なダイバーとして活動したが、当時の装備では窒息による事故が絶えず、潜水病によって体が不自由になることもしばしばあり、非常に危険な仕事だった。

和歌山をルーツとする島民は、木曜島遺族会(坂井敏生会長)を通じて和歌山とのつながりは持っていたものの、県行政と連絡を取り合う状況にはなかった。昨年10月に県内各地で開かれた「第2回和歌山県人会世界大会」の準備の中で、県は島民を大会に招待し、実態把握を進めていたところ、大会に先駆けて同年3月7日、自主的に県人会が結成され、大会には約50人が出席した。

県人会創立1周年記念式典に合わせ、5月23~27日に今回の訪問が実現。濱口議長ら県議3人、遺族会の坂井会長ら3人、岡澤参事ら県職員が参加した。

24日、一行はトレス諸島行政区のエルシー・セリアット区長を表敬訪問し、両地域の若者たちに移民の歴史を伝えていくことなどで意見が一致した。

25日午前には、島内にある日本人墓地を訪れた。ダイバーの仕事で命を落とした人をはじめ、日本人が眠る墓石が約740基並んでいる。世話をする人が絶え、跡が残るのみの墓もあるが、現地政府も保護に取り組んでおり、慰霊塔も建立されている。

濱口議長は、坂井会長、岡澤参事、胡摩窪淳志在ブリスベン日本総領事らと共に慰霊塔に献花し、異国の地で眠りにつく和歌山の先人たちに祈りをささげた。

同日夜には島内のホテルで記念式典が行われた。県人会メンバーと訪問団は、贈り物を交換し、「串本節」や現地のダンスを踊って交流するなど、にぎやかで笑顔の絶えない時間を過ごした。県人会からのリクエストで、和歌山で作って持参した「木曜島和歌山県人会」のちょうちんも好評だった。

一行を歓迎した県人会のロンダ・シバサキ会長は「訪問団を迎えて県人会1周年の式典ができてうれしい。和歌山とのつながりを絶やさないよう、若い人たちに歴史を伝えていきたい」、濱口議長は「遠く離れていても、ふるさと和歌山は県人会の皆さまを常に温かくお迎えする。和歌山にぜひお越しいただき、ルーツである故郷の自然、文化、地元の人々の心にふれてほしい」と話した。

県人会のメンバーは3世が中心で、4世の若者には、日本語を学び、自らのルーツをもっと知ろうとするメンバーもいるという。県は、和歌山の情報を県人会に提供するのをはじめ、オンラインも活用して県人会と県民の交流を図るなど、県人会と県の関係を強める活動を続けるとしている。

 

紀州漆器の記念品を手に濱口議長㊨とシバサキ会長(県提供)
紀州漆器の記念品を手に濱口議長㊨とシバサキ会長(県提供)