「サーフィン」の歴史と今

前号では、持続可能な観光地を目指し導入されている、ハワイ州における宿泊税「TAT」を取り上げた。ここまで、魅力的な観光地として維持・拡大するための制度にふれてきた。ここからは、ハワイ特有の文化や歴史と、和歌山県の関係を紹介していきたい。
ワイキキビーチといえば海水浴のイメージが強いが、少し沖の方に目を向けると無数のサーファーの姿が見える。
サーフィンの歴史は深く、西暦400年ごろ、ハワイを含むオセアニアのポリネシア地域の漁師が編み出した、波乗りの技術とされる。1700年代後半、イギリス人の探検家によるハワイの発見から、ポリネシアにヨーロッパから宣教師などが移り住み、布教の妨げになるとしてサーフィンが禁止され文化が衰退。1900年に入り、ワイキキビーチを中心にサーフィンの文化が復活し、当時、オリンピックの金メダリストとして活躍していた、ハワイ出身の水泳選手「デューク・カハナモク」が、サーフィンの魅力を世界に普及させ、世界的なスポーツとして拡大を遂げた。
ワイキキの街を歩いていると、ビーチへと続く通路沿いに、サーフボードを保管するためのロッカーが存在する。壁に立てかけられ、チェーンなどで施錠する仕組みで、ハワイを象徴する風景の一つである。利用料は月額約55㌦、年額約500㌦。サーフィンを愛する地域の方々が日常的に楽しめる文化が根付いている。
ワイキキではないが、同じオアフ島内で、世界最高峰とされるサーフィンの大会が開催。高さ13㍍以上の波が終日続くという条件を満たす、限られたタイミングでしか開催できない厳格な大会。昨今は和歌山県出身者が招待されている。海を通じた交流が増えることを期待したい。(次田尚弘/ホノルル)