兄と歩んだ61年 洋菓子店マニエール閉店へ

辻岡成晃店長㊧と妻の佳代さん
辻岡成晃店長㊧と妻の佳代さん

地域に親しまれて61年、甘く優しいケーキで幸せな時間と笑顔を届けてきた和歌山市祢宜の洋菓子店マニエールが、25日で閉店する。辻岡成晃店長(72)は、同店の創業者で兄の辻岡秀浩社長がことし1月に享年84歳で他界したことを機に決断した。「ここのケーキが食べられなくなるなんて悲し過ぎる」「辞めないで」と涙する常連客に「ここまで店は愛されていたんだと改めて感じる」と辻岡店長は寂しそうに笑う。

2人は海南市下津町で造船業を営む両親のもと、男4人きょうだいで育った。長男の秀浩さんと四男の成晃さんは12歳差。忙しい両親に代わり、いつも面倒を見てくれていたのは長兄だった。

秀浩さんは中学校を卒業後、パティシエを目指し大阪や京都の店で修行。当時小学生だった成晃さんは、兄が持って帰って来るケーキを食べ「こんなおいしいもんを作ってるんや」と憧れを抱いたという。ケーキを作る兄の姿はかっこ良く、横で手伝うのが楽しかったと追想する。

バブル景気に乗る

マニエールは1964年、秀浩さんが24歳の時に小松原で創業した。成晃さんは兄の店を手伝いながら定時制高校を卒業。別の会社に就職したが、兄から「2号店を出すから手伝ってほしい」と頼まれ、27歳で転職。同市神前の新店でケーキ作りに没頭するようになった。

店はバブル景気で売り上げを伸ばし、紀三井寺、屋形、岩出市と店を増やし、85年に和佐店がオープン。6店舗で従業員は30人を超えた。

成晃さんは「作れば作るだけ売れた。朝8時から夜10時までぶっ通しで働き、クリスマス前は徹夜で作っても間に合わないぐらいだった」と当時を振り返り「作ったものがおいしいと言われて売り切れるとモチベーションが上がり、全然苦じゃなく楽しかった」と笑う。

吉宗ポテト大ヒット

その後バブルは崩壊。店は経営の悪化で整理することになり、和佐店のみが残った。兄は経営、弟はケーキ作りで力を合わせる日々が続いた。

店に再び光が当たったのは秀浩さんが約30年前に考案した吉宗ポテト。NHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」のヒットも重なり注目され、2016年、徳川吉宗が将軍に就任して300年の年にも脚光を浴び、店を代表する人気商品となっている。秀浩さんは、はかま姿のりりしい殿様姿で広告写真のモデルを務めた。

秀浩社長は勇ましいはかま姿で広告モデルに
秀浩社長は勇ましいはかま姿で広告モデルに


順調だった日々は、兄の秀浩さんが66歳の時に脳出血で突然倒れ、一転。成晃さんは1人で店を背負わなければならなくなった。「経営に全くタッチしていなかったから何も分からなかった。やってみて初めて兄の苦労やすごさを知った」という。

試行錯誤で仕事を覚え学び、ケーキを作った。妻の佳代さん(69)も接客で店を支えた。

辞めるという決断

70歳を過ぎた頃から、成晃さんの心には「自分が倒れたら店はどうなるんだろう」という不安がよぎり始めた。兄が突然倒れた姿を目の当たりにしているからだ。その時は自分がいたから何とかなったが、今、後継者はいない。

兄の死を機に、今後どうするか悩んだ末に「倒れてからでは遅い。お客さんにありがとうと言ってちゃんと締めくくれる元気なうちに辞めよう」と決断した。

40年以上の常連という70代の女性は「誕生日やクリスマスの記念日は必ずここのケーキで祝っている。舌がこの店の味になじんでいるのにこれからどうしたらいいのか」と悲しむ。「店のケーキのレシピを他の店に委ねられないのか」という声もあるという。

成晃さんは一人ひとりの声を受け止めて感謝し「ここまで続けてくることができたのはお客さんのおかげ。できる限りのことをしてその思いに応えたい」と最後の日まで全力で最高のケーキを焼き続ける。