すさみ町の「ケンケン鰹」

すさみ漁港に水揚げされた「ケンケン鰹」(県観光連盟提供)
すさみ漁港に水揚げされた「ケンケン鰹」(県観光連盟提供)

前号では、マグロやカツオをベースにした、近代におけるハワイの新たな食文化として人気がある「ポケ」を取り上げた。和歌山県からの移民がハワイにケンケン漁の技法を伝え、現地の漁業振興に貢献したことは前述のとおり。ハワイの人々だけが恩恵を受けたかと思いきや、実は和歌山県の漁業振興にも貢献している。今週は、ハワイに伝えられた後のケンケン漁の歴史を紹介したい。

そもそも「ケンケン」という言葉は何に由来するのか。諸説あるが、ハワイのカナカ語が語源とされる。船を走らせながら疑似餌をひく際に、疑似餌がピョンピョンと跳ねる様子を指しているという。

ではなぜ和歌山県でケンケンの名前が使われているのか。それは、明治41年(1908)にハワイから帰国した和歌山県出身者が、ハワイに持ち込んだケンケン漁の技法を現地で磨き上げ、それを和歌山県に持ち帰ったことに由来。ハワイの漁師らと改良を重ねた漁法は日本でも成果を上げ、やがて日本全国に広まることになる。

すさみ町では、この漁法により獲れたカツオを「ケンケン鰹」と名付けブランド化。1本ずつ釣り上げられたカツオをすぐに活け締めにし、冷蔵されることから鮮度が高く、そのうまさは一般的なカツオと比べ群を抜く。

現在も100隻を超える「ケンケン船」が在籍し、同町における漁獲高の約7割を占めるほど。和歌山で生まれた技法をハワイに伝え、いわば逆輸入する形で磨き上げた技術が現代の和歌山に定着しているという事実。

遠く離れた言葉が異なる地域で、現地の漁師らと協力し技を磨いていくことは並大抵のことではなかったはず。現地特有の言葉が名付けられ、両国の架け橋となっているエピソード。次代に語り継いでいきたい。(次田尚弘/ホノルル)