「アロハシャツ」の文化と歴史

前号では、特産の果物と細かな氷を使用した、色とりどりの氷菓子「シェイブアイス」を取り上げた。シェイブアイスと同じく市民の暮らしに溶け込むものがある。今週はハワイを象徴するウェアである「アロハシャツ」と和歌山のつながりを紹介したい。
アロハシャツ(ハワイアンシャツ)は、やしの木やパイナップルなどのデザインがあしらわれ、華やかでカラフルな色彩が特徴の開襟シャツは、皆さんもご存じのことだろう。
アロハシャツの起源もまた、日本からの移民に由来する。ヨーロッパの船員が着用していたパラカという開襟シャツが「木綿絣(もめんかすり)」に似ていることから、農場で働く日本人が好んで着用するようになった。やがて、日本から持ち込んだ着物をリメイクし作ったシャツが現地の人々にも好評となり、1904年に日本人が服飾店を起業。以降、アロハシャツの名前が浸透していくことになる。
アロハシャツに使用される生地の素材は、シルク、レーヨン、綿など。ハワイには精緻な染色ができる工場が無いため、日本からの輸入品であったという。
和歌山市は1889年ごろから地場産業として染色業が発展。2009年の統計によると、国内における「捺染(なっせん)」加工の全国シェアは3割以上を占めるほど。捺染とは、染料を糊に混ぜた「色糊(いろのり)」を使い、布に模様をプリントする技術。この技術がアロハシャツの生地を作る上で適しており、古くから製造してきた歴史がある。
ハワイの文化と日本の技術が融合したウェア。和歌山との縁を知り、一気に親近感を覚えるのは筆者だけだろうか。(次田尚弘/ホノルル)