病気と闘う子の希望に アーチェリーの三木さん

笑顔の三木さん
笑顔の三木さん

「私の活動を通じて、病気と闘う子どもたちの背中を押すことができれば」と話す和歌山県海南市の三木春乃さん(27)。重粒子線治療による副作用での後遺症で、現在、車いすの生活を送る。さまざまな葛藤を乗り越え、後悔しない生き方をしようと、アーチェリー選手として活動しながら、今の生活を大切に過ごす。

中学、高校とバレーボール部に所属していた三木さんは、高校1年の時、仙骨に悪性腫瘍のユーイング肉腫が見つかった。ユーイング肉腫は主として小児や若年者の骨や軟部組織に発生するという。

抗がん剤治療を乗り越え、高校を1年長く通い卒業。副作用の苦しみや孤独などを経験し、同じように病気と闘う子に勇気を与えたいと、看護師を目指し進学した。

病院への就職も決まり、国家試験を翌月に控えた21歳の時、再発。抗がん剤治療を受けた数週間後、国家試験に臨み合格したものの、決まっていた就職は辞退せざるを得なかった。

重粒子線治療を受け、徐々に副作用が出始めた。左足は大きな針の束で常に刺されているような耐えられない痛みだったという。働きたくても就職先を探すのが難しいという中、SNSで同世代の投稿が目に入ったという。三木さんは「比べてはいけないのは分かっているが、駄目だった。すごく勉強して入学できた高校、治療を乗り越え就職先も決まっていた看護師。苦労して頑張ったのに、全部水の泡」と、次第に気力が無くなっていき、一日中、何もせず自宅にこもるようになった。

しかし2年前、三木さんは偶然開いたSNSで、長く応援してくれていた人が亡くなったことを知り「今の私、何してんねん。日常を送れることは幸せなこと。1分1秒を無駄にしてはいけない」との思いを持ち「当たり前じゃないことを一番分かっていたはず。明日死ぬと言われても後悔しない生き方をしなければ」と決意した。

運動が好きだったことから、車いすでできるスポーツを検索した。アーチェリーを知り、体験に行った。初めは運動不足で筋力がなく、手が震えたと振り返るが、通ううちに矢が的に届くようになった。

「素質がある」と、アーチェリー選手の上山友裕さんから「アシスト無しの自力で弓を持てる、女子リカーブ部門でオリンピックを目指してみないか」と声をかけられた。

頑張ることが怖くなっていたという三木さんは、友人たちと出かけたりできる日常生活も守りたいとの思いも強く「誇れるものとして打ち込み、後悔しないよう自分のスタンスでアーチェリーを続けていきたい。家族も応援してくれているので親孝行したい」と、アーチェリーを続ける決意をし、オリンピック出場を目指して練習に取り組むように。2024年の第23回全国障害者スポーツ大会「SAGA2024」では2位の成績を収め、先日タイで開かれたアジア大会には日本代表として出場した。

三木さんは、就職も今後の視野に入れ「抗がん剤治療に踏み切るまで葛藤があった。私にしかこの気持ちは分からないと思う。病気と闘う子どもたちの力になりたい」と話している。