寂光院のふすま絵保全へ 専門家が連携調査

和歌山県和歌山市湊本町の市立博物館1階エントランスホールで4月1日まで、金地の豪華なふすま絵などが展示されている。同市松江中の天台宗寺院、寂光院が所蔵するもので、近く庫裏(くり)が取り壊されることに伴い、文化財に関わる県内の専門家約30人が協力し、明らかにした調査活動の成果。携わった市立博物館の近藤壮学芸員は「文化的、歴史的に価値の高いものが、気が付けば跡形もなくなっていたというケースも少なくない。今回の事例を知ってもらい文化財に目を向ける一助になれば」と話している。
きっかけとなったのは昨年の3月末、県立博物館(同市吹上)に入った一本の電話。寂光院を管理する小谷三恵子さんからで、「間もなく庫裏を取り壊す予定で、その前に貴重な文化財がないか見てほしい」という依頼だった。
同館の学芸員2人が現地を訪問。ふすま絵の大作をはじめ掛け軸や古文書類が多く残されており、県教委と近代美術館、市立博物館や県立文書館などにも応援を要請した。建築、絵画、文献の3班に分かれ、4月から8月にわたって調査を実施。これまで研究者や行政関係者に把握されていなかった文化財の歴史が、少しずつ明らかになっていった。
中でも特筆すべきは、ふすま絵だった。「『失われてはいけない』と思えるほど力のこもった作品でした」――。ふすま絵の調査に関わった県立近代美術館の藤本真名美学芸員は、そう振り返る。
寂光院は檀家を持たず、江戸時代には紀州藩の支援があったが、明治以降は資金難から衰退。松江の出身で、寂光院で得度した伊藤尋流が1924年に再興に着手し、35年に庫裏が建てられた。
ふすま絵は竹虎図や松鶴図、孔雀牡丹図などが66面に描かれ、枚数にして44枚。落款などから、作者は岡山県出身の黒住章堂(くろずみしょうどう、1877~1943)の作と分かった。京都の有力な四条派の画家のもとで学び、1916年には皇太子に作品を献上している。

展示されているふすま絵

展示されているふすま絵

明治以降の廃仏毀釈により衰退した各地の社寺の再興に尽力した人物で、藤本学芸員は「かなり荒廃していた寂光院のふすま絵制作も、その足跡の一つ」とみる。
現在、同じ宗派の十禅律院(紀の川市粉河)と住職を兼務する不二澄順住職によると、庫裏は移築の道を模索しながらも難しい現状にあり、本堂以外の建物は取り壊す予定。ふすま絵は、ひとまず市立博物館に寄託されることになった。
文化財を取り巻く環境は厳しく、その消滅が深刻な状況にある。県内では東日本大震災や紀伊半島大水害を機に、災害資料の散逸を防ごうと2015年、県内の関係施設が集まり「県博物館施設等災害対策連絡会議」が発足。定期的に研修会や調査報告会を開き、文化財保護へ連携を強化している。
近年は特に高齢化に伴う所有者や建物の消滅、代替わりの建て替えによる資料の廃棄、郷土意識の希薄化などにより、文化財の保全が困難に。このほど開かれた報告会で、県立博物館の前田正明主任学芸員は「『文化財レスキュー』は、一般的には非常時や災害時を思い浮かべるが、実は平常時にも必要な場合がある」と話した。
緊急性が求められるケースで日常業務をこなしながらの作業は、他分野の専門職員の連携が重要。今回は複数の施設の職員が調査に関わった事例として、今後の活動につながるものになったという。
この日の報告で、藤本学芸員はこう締めくくった。「約80年前、黒住章堂という一人の画家が、歴史や文化が失われていく状況を憂いて各地を奔走していたことを思うと、取り返しがつかなくなる前に、『危機感を持って守らねばならない』と、時代を超えて訴え掛けてくれているような気がしてなりません」。