癒えない悲しみを胸に 和歌山大空襲75年

和歌山大空襲から75年を迎えた9日、和歌山市戦災死者追悼法要が、西汀丁の汀公園戦災死者供養塔前で行われた。市は太平洋戦争中にアメリカ軍から十数回の空襲を受け、約1400人が犠牲になっており、特に1945年7月9日から10日未明にかけての大空襲で市中心部は焼け野原となり、火災や熱風から避難してきた人々が集まっていた汀公園では、最も多い748人が亡くなった。

法要は市戦災遺族会(田中誠三理事長)の主催で毎年行われており、今回は新型コロナウイルス感染防止のため規模を縮小し、役員ら7人が参列した。

市仏教会(尾藤憲道会長)の僧侶6人が経を唱え、ハスの花びらをかたどり、浄土などが描かれた紙をまく散華を行う中、参列者は一人ひとり焼香し、戦災死者の霊に鎮魂の祈りをささげた。

田中理事長は、ことしの感慨深い出来事として、和歌山大学付属小学校の児童が「私たちは戦争を忘れない」という劇を作ったことにふれ、「戦争はいけない。戦後75年、戦争は終わったのではなく、平和な終戦が続いていると思う意識が大切だと思います」と話した。

9歳だった大空襲当時、汀公園の近くに住んでいた打田容子さん(84)は、家族6人で同公園に逃げ込み、1人だけ生き残った。「空爆の恐怖と家族を失った悲しみは忘れられない。話すと昨日のことようにつらくなる」と話し、自身の気持ちを詠んだ歌「空爆の 恐怖を知らぬ この世になりて 八十路になるも 悲しみ癒えぬ」を紹介していた。

例年、法要の際に奉納している千羽鶴の作成には市立八幡台小、野崎西小、伏虎義務教育学校の3校の児童生徒が参加。今回は法要の前日に、平和への祈りを込めて奉納した。

 

戦災死者供養塔の前で手を合わせる打田さん