日韓両国の発展に尽力 2度目の叙勲で韓国訪問
来る1月30日午前10時より、 韓国青瓦台において、 私は韓国の李明博大統領より外国の産業人としての最高位の大韓民国の国家勲章 「金塔産業勲章」 (勲一等)を授与されることになった。 党本部からは、 林幹雄総務会副会長、 党県連から吉井幹事長、 中村副会長(紀の川市長)等が同行頂くことになった。
今回の韓国からの叙勲は、 私にとって2度目のことである。 今から12年前、 小渕内閣の運輸大臣の当時、 「修交勲章光化章」 (一等級)の叙勲の栄誉を頂戴した。
この度の産業勲章は、 先の韓国の麗水万国博覧会の韓国開催決定に際し、 自民党の総務会長として、 さらに直接担当の経済産業大臣として些か尽力させて頂いたこと。 博覧会開催中に観光客の送客に努めたこと。 2010年万博の会場建設中に、 姜東錫建設委員長の招きにより現場視察に韓国を訪問したこと。 昨年の万博開催中に開会式をはじめ、 四回にわたって麗水を訪問して素晴らしい経験を持つことが出来たこと等、 鮮明に想い出すことが出来る。
しかし、 それと同時に、 この機会に 「韓国と私」 について少々想い起してみたい。
県会議員の時代にMBC(大邱文化放送㈱)主催の韓国高校ホッケー選手権大会に当時の御坊商工のチームが日本代表として招待され、 私が団長を引き受け、 韓国を訪問することになった。 今でもその縁で和歌山県ホッケー協会の会長を勤めている。 この韓国遠征の際に、 当時県会議員の先輩の藁科義清氏が韓国で先生をしておられた時の教え子の韓元福氏が、 試合場に石炭箱いっぱいのリンゴを持って選手に食べさせて下さいと言って訪ねてくれた。 40年前の日本人の先生との師弟愛は、 かくもあたたかく、 素晴らしいものかと感動させられた。
私は政界に出て、 韓国訪問の機会は度々あったが、 印象に残る訪問は、 小渕内閣の運輸大臣・北海道開発庁長官としてソウルにおける日韓定期閣僚会議に臨んだ際のカウンターパートは運輸観光大臣の朴智元大臣であった。 今は国会議員として活躍されており、 お互いに夫々訪問の際にお会いして旧交をあたためている。 最初の朴大臣の日本訪問は仙台の秋津温泉であった。 日本の旅行観光関係の代表が集る中で、 私たちは義兄弟の契りを結ぶことになり、 その関係は12年を経て今日なお続いている。 前に、 私の叙勲の際には、 内閣官房長官として、 当時の金大中大統領と共にご高配を頂き感謝している。 作家の神坂次郎先生の著作 『海の伽耶琴』 の韓国での出版記念会をソウルで開催の際も、 大統領の名代として朴官房長官のご臨席を頂いたことは、 日本の関係者の間で今も語り草となっている。 今回も昼食を共にしながら、 博覧会以来の再開を楽しみにしている。
私の2人目の義兄弟は朴三求錦湖アシアナグループ会長である。 運輸大臣の時代に人格的にも優れた朴氏と意気投合の結果、 今や私の最も信頼する韓国を代表する経済人である。
3人目は先の麗水万博の際の交流を通じ、 親しくなり義兄弟となった釜山の許南植市長である。
今、 日韓関係は順風の中にいるわけでもない。 しかし、 両国は一衣帯水の国であり、 引越しの出来ない隣国である。 両国の友好親善に力を尽くすことは国会議員として当然の責務であると考えている。
博覧会を通じて、 何回も何回も往来を重ねた姜東錫麗水万博組織委員長は2度に渡り建設大臣として活躍され、 仁川空港の建設委員長等を歴任された実力者であり、 今回の訪問で再開出来ることを楽しみにしている。
両国が共に力を合わせて、 日韓両国の発展に力を尽くすことが両国リーダーの崇高な義務でもある。
今回の叙勲による韓国訪問の機会に、 私の果たすべき役割も理解しているつもりである。