国交副大臣、観光分野に実績 「やれる!」マインド合言葉に
国土交通副大臣を今月末には辞任するらしい。この稿をものしている現在はまだ辞令はこないが、新聞によるとほとんどの副大臣、政務官は取り替えるそうなのでここではそういうことにしておく。
それにしてもこいつが厄介なのである。昨年から内閣改造のうわさは「参議院選挙まで」とか「年末まで」などと二転三転してくれた。そのおかげで、私としてはやり残した仕事を作りたくない、という思いから、夏頃からあまり時間的に結論を出せない新たなテーマには及び腰になったのは偽らざる事実である。
副大臣在任中で最も実績を残し得たのは観光分野であろう。特にASEAN諸国からの観光ビザの発給要件緩和に関しては内外のご協力を得たとはいえ、正真正銘わが観光部局の総力戦であった。ラオスで行われたASEANプラス3(中国、韓国、そして日本の参加国を指す)の帰国途上、観光庁長官とのやり取りの中では正直「できたらいいな」程度のものだったと思うが、私は鼓舞する意味でも常に先頭に立ち続けたつもりである。「できなくてもともと」。少々不謹慎と言われればそれまでであるが、理屈を言えば中国や韓国との関係が悪化する中で、どうやってインバウンドを1000万人以上の成長路線に乗せることができるのか。そう言って他省庁との副大臣会議の開催やひいては党役員、最後には官邸の応援を引き出すことができ、実現にこぎつけられたものと自負している。この間、観光庁職員のみなさんはよくついてきてくれた。毎日のように副大臣室に報告や相談に来てくれていたのは正直ありがたかった。自分もそれによって次々の課題を解決せねばという気持ちになったからである。
これに気を良くして、観光アクションプランを作り、現在のわが国の観光分野におけるほぼすべての課題を書き込んだ。ローマ字の道路標識改変などがとくにマスコミで取り上げられたが、それ以外にも、留学生からの日本文化の検証制度を設けたり、Wi―Fiやクレジットカードなどの観光インフラを整備したり、外国人旅行者への免税対象品目を拡大して消費拡大につなげたりといった野心的な課題が列挙され、それぞれが担当によって実現化に努力してくれている。そして国連の観光機関に代表を送ること、ゆくゆくは拠出金最高額の国としてこのUNWTOで事務局長を日本人が堂々と務めることを目指したいと思う。
他にも書ききれないことはたくさんある。中古住宅市場の活性化は私のライフワークであると同時にこの国に最も必要な社会福祉予算の削減に寄与するものだと思う。
災害が頻発する今日、国土の守りを担う「いい」地元建設業者が必要最低限度において生き残っていくためにはどうすれば良いか。入札制度の改正を幹部職員が集まって真剣に討論してくださったのは心に焼き付いている。
海外での建設事業で国内のゼネコン各社が軒並み損していることを多くの方は知らない。その大きな要因として当該外国の商慣習への無理解というものがある。またひどい時は日本の企業同士で叩き合いをしていることすらある。情報の共有化が必要だ。しかし各社を呼んで聞いてみるとその仕組みはまだまだ足りない。外務省と合同のプラットフォームを作ろうということになっている。
営繕、鉄道、物流、貨物、河川、下水道。それぞれにわがままを言わせてもらい、それらを優しく?受け止め、誠実に返してくれたと思う。
ある時副大臣室を訪ねてくださった幹部職員に「副大臣の改革マインドはまだまだ消えませんね」と矢継ぎ早に宿題をお願いしたことに嫌味を言われたことがあるが、私はそう言ってもらって嬉しかった。
皆がそのマインドで日本復活を目指せば恐れるものはない。「やれる!」というのがこの国の合言葉になった時こそ私の役割は終わるのだと思っている。