江戸の街で親しまれ続け 「コウヤマキ」の魅力と歴史

 前号に続き、私たちにとって身近な植物であるコウヤマキについて紹介したい。

 コウヤマキの美しい立ち姿がイメージとされる東京スカイツリー。島根県吉賀町から移植された3本のコウヤマキを間近で見ると、外観だけでなくツリーの内部に入り組む細い柱が、コウヤマキの特徴ともいえる美しい枝葉に見える。

 北へ約5㌔の所に「千住大橋」がある。足立区と荒川区を結ぶ隅田川に架かる橋で国道4号線(日光街道)が通る交通の要所だ。最初にこの橋が架けられたのは文禄3年(1594)のこと。隅田川で初めての橋で、難工事であったという。

 橋枕材として採用されたのが耐水性に優れたコウヤマキだった。これには伊達正宗が陸中南部からコウヤマキの材木を寄進したという。明治18年(1885)の洪水で流されたが、約300年を生き抜いた橋として、古い川柳に「伽羅よりもまさる、千住の槇の杭」と詠まれるほど、強くたくましい木として親しまれた。現在も一部の橋枕が千住大橋の下に残っている。

 当時、架橋工事を指揮した伊奈忠次(いな・ただつぐ)は橋から程近い「熊野神社」へ祈願に訪れたという。熊野神社は熊野三山の祭神の勧請を受けた神社の一つ。無事に工事を成し遂げた忠次は、橋の残材を使い社殿の修理を行ったという。

 忠次がコウヤマキの名の由来を意識し、熊野神社の参拝に強い思いがあったか定かではないが、遠い昔から現代まで東京・江戸の街でコウヤマキが親しまれ続けていることに違いはない。 (次田尚弘/和歌山)