真国地区に納豆文化 りら学生調査
和歌山に納豆文化が!? 紀美野町のりら創造芸術高等専修学校(山上範子校長)の生徒が、同校がある真国地区で納豆に関する調査を行った。味付けの共通点などから、京都市右京区から納豆が同地区に伝わったのではないかとの仮説を立て、聞き取りから、地区内で古来伝わる納豆が食べられている範囲は直径約8㌔圏内に限られるという興味深い結果が出た。
総務省がまとめた平成22年度家計調査で、和歌山県は納豆の消費量がワースト1位だったことから今回の調査を計画。地域デザインを選択する3年生の坂口悠さん(19)、2年生の小野田円香さん(16)と柴田華帆さん(17)の3人が、100世帯以上を回って聞き取り調査を行い、真国地区の納豆文化を追究した。
納豆の起源については諸説あるが、冬の食料として関東、東北を中心に食べられ、西日本では親しまれていなかったという。平安時代の法典「延喜式(えんぎしき)」に記述があり、京都に伝わったという説がある。
調査では、全く納豆を食べないという地域もあったものの、家で作って食べるのが当たり前という地域もあり、真国地区に納豆の食文化が受け継がれていることがうかがえた。
納豆を作って食べる世帯で製造法を調べると、「塩で味付けする」という点で京都の納豆と共通。平安時代には現在の右京区にある神護寺の寺領が真国地区にあったことから、同地区の納豆は京都から伝わったと推測。さらに、地区内で納豆の食文化があった地域をまとめた分布図を見ると、京都府八幡市にある石清水八幡宮の宮領であった地域とも重なった。
2つの領地があった直径約8㌔の範囲で納豆の食文化が根付き、それ以外の地域では食べられていなかったという。寺領だった1182年から1216年、宮領だった1072年から1333年の間に真国地区に納豆が伝わったと推測され、和歌山でも古来、納豆の食文化があったとみられる。
調査結果を発表した小野田さんは「私たちの和歌山にも知られざる食文化が残っていることを知ってほしい。小さな納豆文化圏の未来を創造するきっかけになれば。地域の人も知らないようなことが詰まったマップを作ってみたい」と話していた。
10日に行われた同校での発表会には、地域学習の一環で来校していた近畿大学文芸学部の学生も参加し、興味深そうに聴いていた。