紀州藩・東の領地 国の史跡「松坂城跡」
前号では紀州藩の本城である和歌山城と東の領地にあたる松阪城を結び、参勤交代にも使われたという国道166号線・和歌山街道(高見峠-松阪市)を取り上げた。今週は、和歌山街道の終着点にあたる松阪城について紹介したい。
松阪城は蒲生氏郷(がもう・うじざと)が天正16年(1588)に松阪市北部に位置する四五百森(よいほのもり)に築城。蒲生氏郷が会津若松へ国替した後、天正19年(1591)に服部一忠(はっとり・かずただ)、文禄4年(1595)に古田重勝(ふるた・しげかつ)が城主となった。元和5年(1619)に徳川頼宣が紀州藩主になると同時に紀州藩領となり、勢州領(松阪・田丸・白子)の18万石を治める城代が置かれた。
かつては三層の天守があったが正保元年(1644)の台風で倒壊。以降は天守台だけが残る。寛政6年(1794)には、城内の二の丸に「徳川陣屋」と呼ばれる御殿(今で言う出張所に相当)が建てられたが明治10年(1877)に焼失。その後は松阪公園として整備され、桜と藤の名所として市民の憩いの場となっている。
現在、建造物は現存しないものの豪華な石垣が残り、平成23年には「松坂城跡」として国の史跡に指定。城内には本居宣長記念館や歴史民俗資料館、近くには武家長屋が並ぶ御城番屋敷などの施設も充実し、松阪の歴史や文化に触れられる。
この地を訪れ強く感じるのは、松阪市の生まれで紀州藩に仕官した本居宣長の存在。本人が暮らした住宅が「本居宣長旧宅」として城内へ移築保存され、記念館の運営等、顕彰活動も活発だ。「松坂城跡」や周辺の各施設へは松阪駅(JR・近鉄)から徒歩約15分。
(次田尚弘/三重)