太田城水攻めから430年 31日に記念祭
天下人・羽柴(後に豊臣)秀吉による太田城水攻めから、ことしは430年の節目にあたる。和歌山市の太田城史跡顕彰保存会(秋月利昭会長)は31日、かつて太田城があったとされる同市太田周辺で「430年祭」を催し、子ども神輿(みこし)の練り歩きや餅つきなどを行う。同会は「あまり知られていない和歌山の歴史を知ってもらう機会に」と願っている。
太田城水攻めは、高松城(岡山県)、忍城(埼玉県)と並び、日本三大水攻めの一つに数えられる戦国時代の激戦。
天正13年(1585)、10万人の秀吉軍による紀州攻めに対し、侍大将・太田左近宗正をはじめ約5000人が太田城に立てこもった。秀吉軍は高さ約3.8~5.7㍍、城を取り囲む総延長約7㌔にも及ぶ壮大な堤防を築造。水攻めを行い、約1カ月の攻防の末、左近ら約50人が自刃し降伏した。
同会によると、太田城の本丸は現在の来迎寺に位置し、東西250㍍、南北200㍍に及ぶ堅固な平城だったという。土地区画整理のため残念ながら城跡は残っていないが、周辺には堤防の遺構や水攻めの犠牲者を祭る小山塚などが残る。
戦いの後には、全国に先駆けて紀州で兵農分離と刀狩が行われたことから、同会顧問の藤田美明さん(75)は「籠城した者たちはすぐに降伏せず、秀吉が平民に肝を冷やす大きな出来事だった」と歴史的意義を語る。
保存会は昭和44年に発足。三十数人の役員が、毎年4月に小山塚で左近らの霊を慰める法要を営む他、後世に太田の歴史を語り継ごうと、地域内での勉強会や語り部ウオーク、教員対象の研修会などを重ねている。
秋月会長(83)は「太田の歴史や文化を宝に、後世に伝え残していくことがわれわれの使命。子や孫、ひ孫の世代にまで伝えていきたい。この祭りも、子どもたちの思い出として胸のどこかに刻んでもらえれば」と話している。
430年祭は午後1時から4時まで。地元消防団や婦人会、太田小学校の児童らが参加する。子ども神輿は1時に小山塚(来迎寺東)を出発し、JR和歌山駅東口周辺など約1㌔を歩く。終着点の太田第2公園で餅つきがあり、つきたての餅が振る舞われる。問い合わせは同会の川端さん(℡090・1070・0244)。