県産業の礎築く カール・ケッペン石碑除幕

明治初期、軍事教練の指導者としてプロイセン(ドイツ)から和歌山藩に招聘(しょうへい)され、母国の優れた製造技術を伝え、皮革・繊維・化学など和歌山の地場産業の礎を築いたカール・ケッペン(1833―1907)の功績を顕彰する石碑が、寓居跡の和歌山大学付属小中学校駐車場(和歌山市吹上)の一角に完成した。22日には、和歌山日独協会(樫畑直尚会長)ら関係者の手で除幕式が行われた。

ケッペンは明治2年(1869)に陸奥宗光の仲介で和歌山藩に招聘され、2年にわたり滞在。現在の同校付近に設立された「兵学寮」で、兵士らと寝食を共にしながらプロイセン式教練や弾薬製造などを指導し、これが明治政府の徴兵制度の先駆けとなった。また、同郷の製靴職人らを招き、軍靴や弾薬などの優れた製造技術を伝えたことにより、和歌山の地場産業の近代化に影響を与えた。

石碑は、県とドイツの交流を図る団体「和歌山日独協会」の創立10周年を記念したもの。3年前、同協会の吉松敏隆専務理事が、同所に元々建っていた木製の碑の傷みが激しいことに心を痛め、「『知る人ぞ知る』であったケッペンの業績を広く知ってもらうため、目につきやすい碑にしたい」と石碑の建立を働き掛け、実現した。

完成した石碑は六角石柱の玄武岩で、高さは約175㌢。裏面にはケッペンの功績が紹介され、通りに向けられた表面には、世耕弘成経済産業大臣の筆により「カール・ケッペン寓居之跡」と記されている。

除幕式には発起人代表の仁坂吉伸知事や樫畑会長、和歌山大の瀧寛和学長らが出席。仁坂知事はあいさつで、県教育委員会のふるさと教育副読本「わかやま何でも帳」の中から、ケッペンについて記した項目を紹介し、短期間で和歌山藩に先進的な兵制改革や産業技術を伝えたことをたたえ、「石碑の建立は素晴らしいこと」と話した。

樫畑会長は「こんな時代があったと子どもたちによく分かるよう、由緒書きは長くなった。私たち日独協会が語り部となっていきたい」と決意を話した。

ケッペンの和歌山滞在中の足跡は、残された日記などに記録されており、県立博物館や市立博物館にもゆかりの品々が所蔵されている。

石碑を除幕する関係者ら

石碑を除幕する関係者ら