家康紀行(53)富士川上流の墓所と紀州の縁

前号では富士山を拝め、豊かな自然を生かした体験プログラムが提供されている田貫湖(たぬきこ)を取り上げた。今週は日本三大急流の一つとされる富士川(ふじかわ)を紹介したい。
富士川は山梨県の鋸岳(のこぎりだけ)を水源とする一級河川。甲斐国(現在の山梨県)と駿河国を結ぶ水運の要路として人々の暮らしを支えてきた。
長い鉄橋を渡る東海道新幹線の車窓から、富士山を拝んだ記憶がある方もおられるだろう。その鉄橋が架かる川こそ富士川だ。ここは、電力の50ヘルツ帯と60ヘルツ帯(電源周波数)の境目にもなっている。明治27年(1894)に東京電灯がドイツ製の50ヘルツの発電機を導入。一方で大阪電灯、神戸電灯、京都電灯がアメリカ製の60ヘルツの発電機を導入。両者共に供給エリアを拡大し、ここが境目になったとされる。
富士川の下流にあたる鉄橋から上流へ約30㌔。山梨県身延町にある日蓮宗の寺院・本遠寺(ほんのんじ)は、徳川家康の側室で徳川頼宣の母、お万の方として知られる養珠院(ようじゅいん)の墓所。養珠院は家康の三十三回忌の際、和歌山市和歌浦中の妹背山に法華経を書写した経石を納めた石室・海禅院(かいぜんいん)を建立。養珠院の死後、頼宣により多宝塔が建てられ、母を弔ったとされる。平成16年の調査では養珠院とみられる遺髪が見つかっている。
養珠院の兄にあたる三浦為春(みうらためはる)は徳川頼宣の傅役(もりやく)となり、頼宣の紀伊入国の際に随行。1万5千石を治める陪臣(ばいしん)となり、代々紀州藩の家老を世襲し続けた。墓所は和歌山市の了法寺。
和歌山市から東へ約300㌔。離れた地でも歴史をたどれば紀州とのつながりが見えてくる。 (次田尚弘/富士市)