広川の防災が日本遺産に認定 県内4件目
地域の歴史的・文化的な魅力を語るストーリーを認定する文化庁の2018年度「日本遺産」に24日、和歌山県内から「『百世の安堵(あんど)』~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~」が選ばれた。県内の認定は3年連続、計4件となる。(写真は県教育委員会提供)
日本遺産は、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化や伝統を国内外に発信し、地域の活性化を図るもので、15年度に創設。本年度は全国から76件の申請があり、13件を認定。これまでの認定は計67件となった。
仁坂吉伸知事は「大変うれしく思う。広川町の防災意識の継承が評価されたと考え、受け入れ体制の整備や認知度向上などの取り組みを進めていく」とコメントした。
認定を受けた広川の防災遺産は、同町に所在する文化財26点で構成。濱口梧陵が安政南海地震による津波の後、津波から町を守るために築いた長さ600㍍、高さ5㍍の「広村堤防」(国史跡)や、同津波時の避難場所となった「広八幡神社」(国重文)、梧陵と共に広村堤防築堤を支えた濱口吉右衛門家の邸宅「濱口家住宅」(同)などが盛り込まれている。
同町の海岸は、幹を伸ばした松が弓状に立ち並び、土盛りの堤防が海との緩衝地を形成。沖の突堤、海沿いの石堤と多重防御システムを構築している。
江戸時代末期の1854年11月5日、地震の発生に伴い津波が襲来。津波を察知した梧陵は田の稲むらに火を放ち、高台へと逃げる人々の明かりとして多くの命を救った。この出来事は、小学校の国語科の教科書にも掲載されている。
梧陵は堤防の建設を計画し、築堤に尽力。津波の衝撃を弱めるために堤防を湾曲に築き、町に漁船が流れ込まないよう松を1000本植えた。避難を意識して造られた堤防に添う町並みからは日本の防災文化の縮図が浮かび上がり、災害の記憶が今も暮らしの中に息づいている。
今後は、日本遺産ブランドの確立と認知度向上のため、同町や観光関係団体などで構成する「広川町日本遺産推進協議会(仮称)」を設立。案内板の整備やガイド養成、情報発信のためのガイドブックや各種ツールを作成する。
同町の西岡利記町長は「大変名誉なことで、町民と喜びを分かち合いたい。魅力的なまちづくりへ全力で取り組んでいく」としている。