平安後期の仏像公開 春日神社で十番頭祭

春日神社(和歌山県海南市大野中、三上秀信宮司)は10日、中世の時代に和歌山市南部と海南市を統治していた豪族「大野十番頭」にまつわる「大塔宮十番頭祭」を開いた。恒例で開かれている海南中世史講座では約40人の歴史ファンが熱心に学び、祭典では豪族の末裔10氏のうち石倉家をはじめとする5氏が参加し、祭典を行った。
講座は「新発見・春日神社の仏像と仏画について~遺された神仏習合の痕跡~」をテーマに、県立博物館主査学芸員で文学博士の大河内智之さん(43)が、
同社で発見された貴重な文化財を基に研究成果を話した。
今回初めて公開された仏像「天部形立像」は、25年ほど前に三上宮司が床下で発見した。その安置場所の特異性について、同社所蔵の仏画「弁才天十五童子像」の分析を通して構築された推論に、参加者らは聴き入っていた。
推論は、明治元年(1868)の神仏分離の施策下における混乱期の中でも「天部形立像」は、当時の神官が特別な采配を振るって安置したものではないかというもの。神官が個人的に所蔵していた「弁才天十五童子像」の名称を、神像画を思わせる「厳島姫神并ニ十五童子絵像絹地巻軸」と変更し、貴重なものとして保存に努めた工夫がうかがい知れることから、その動向を類推した。多くの仏像や仏画の喪失を防ごうと、大野十番頭とゆかりのある寺院へ移した可能性も考えられるという。
また、制作期について、仏像は穏やかな表情などから平安時代後期であり、仏画は絹に織りむらがあることなどから室町時代後期で希少なものであることも報告された。
三上宮司によると、今回の講演依頼をきっかけに大河内さんが同社を訪れ仏像の本格的な調査を進めた。大河内さんは「神仏習合に関わる文化財は地域の近代史の研究の上で重要な資料で、今後もさらに研究を進めたい」と話している。
講演を聴いた、「大野十番頭」の末裔で島根県在住、田辺市出身の石倉有規さん(58)は「歴史のつながりを一層深く感じます。これからもできる限り長くこの祭りに参加したいです」と話していた。

初公開された仏像と仏画

初公開された仏像と仏画