紀州能文化の歴史 小林観諷会「番組」一堂に

 屏風(びょうぶ)にびっしりと貼られているのは、小林観諷会のこれまでの公演の演目や出演者を記した「番組」。同会の創立100年を機に、表装した四つの屏風が初めて小林慶三さん宅を出て、記念公演当日に会場ロビーに展示される。

 小林観諷会は、かつては毎年春と秋に舞と謡の会を開催。小林さんの父・憲太郎さんは第1回(大正10年11月23日、和歌山城内葵館)から、番組を二曲一隻の屏風に仕立てて残してきた。戦前の屏風は和歌山大空襲で焼失したものもあるが、最も古い1隻は無事だった。今回は、昭和55年から平成30年までの一面を新調し、戦前のものも修復した。

 和歌山大空襲によって失われたのは、昭和12年以降25年までの屏風。戦火がくすぶる中、小林さんが自宅で目にしたのは、肩を落とす憲太郎さんの姿だった。「おやじは、『大切な屏風を焼いてしまった』と涙を流して悔やんでいました」。

 屏風をたどると、出演者の曲目や会場から、和歌山の能の歴史をたどることができる。

 大正10年の番組には、出演者に当時の小原新三知事の名前も。会場も和歌山市公会堂、鷺森別院の能舞台など、時代をうかがわせる。

 小林さんは6歳から子方として舞台に立ち、〝口から口へ〟で、憲太郎さんから教えられたという。まぶたに残るのは稽古を怠らない真面目な父の姿。230曲ほどあるとされる謡曲のうち、200曲は空で覚えていたといい「能は『目で見るな、胸で見よ』とも言われ、それが秘伝になる。私自身も見て盗み、体で覚え込んできました」と振り返る。

 「派手なことをやっては長続きしない。援助があればその会の体質は弱くなり、努力もしなくなる。和歌山のような田舎では質素にと、自分たちの力で運営してきました」

 ユネスコの世界無形文化遺産の第一号に指定された能は600年以上、口伝によって受け継がれてきた。小林さんは「粛々と静かに、100年は節目ではありますが一点通過。

 これからも自分たちが汗を流し、守っていく努力を続けたい」と話している。

さまざまな時代を経て受け継がれてきた屏風

さまざまな時代を経て受け継がれてきた屏風