みなべの南高梅
新元号に変わり1カ月がたち、6月を迎えた。九州南部では梅雨入りが発表され、近畿地方にも梅雨前線がじわりじわりと近づいている。
この時期、和歌山では南高梅の収穫が始まる。数カ月にわたり、岸和田市における紀州街道にまつわる文化や歴史を取り上げてきたが、今週は紀州街道の北端(高麗橋)まで北上し、和歌山の「うめ」に関する話題を紹介したい。
和歌山県民が誇る特産品である梅。最新の農林水産統計によると全国で収穫される梅の約65%が県内で生産。昭和40年から54年連続で全国1位となっている。ちなみに2位は群馬県で全国の約5%。いかに和歌山が梅の名産地であるかがよく分かる。
そもそも「梅雨」という言葉の由来は中国から。諸説あるが、この時期の雨により梅の実が熟すことから梅雨という名がついた、あるいは、長雨により黴(カビ)が生えやすくなることから「黴梅(ばいう)」と書き、そこから派生した言葉であるとか。
日本においては「雨の露(つゆ)、湿気で食品が腐り潰れやすく梅の実も熟す季節であることから「潰ゆ(ついゆ)」などと言われ、やがて、梅雨と書き「つゆ」というものが一般的になったとされる。
紀州街道に話を戻し、紀州街道は大阪市中央区の「高麗橋」と和歌山市の「京橋」を結ぶ街道であることはご説明の通り。北端にあたる高麗橋(天満橋駅と北浜駅の中間辺り)から北北東へ約800㍍の位置に「大阪天満宮」がある。大阪天満宮は日本三大祭の一つとして知られる天神祭が行われる神社。
ここに、南部梅林と岩代大梅林から献梅され「紀州みなべの南高梅」の札が掲げられた梅の木を見つけた。天満宮と梅の関係に迫りたい。(次田尚弘/大阪市)