天満宮の祭神・菅原道真

「梅の雨」と書いて梅雨(つゆ)。ジメジメとしたシーズンの到来を間近に、県内では梅の収穫が進む。前号では、梅雨の名称の由来や、紀州街道の北端にあたる大阪天満宮に献梅された「紀州南部の南高梅」を取り上げた。
大宰府天満宮(福岡県)をはじめ、北野天満宮(京都府)など、天満宮は梅の名所としても知られる。今週は、天満宮と梅の関係に迫りたい。
天満宮は、学問の神として知られる菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神とする神社。全国各地に存在する天満宮であるが、菅原道真が大宰府へ向かう途中に立ち寄ったとされる和歌浦天満宮(和歌山市)を、大宰府、北野に継ぐ日本三大天神という説もある。
菅原道真(845―903)は平安時代の貴族。学者であり、政治への影響力も強く要職を務めた。梅との関わりは5歳の頃に詠んだとされる歌からうかがえる。「美や、紅の色なる梅の花、あこが顔にも、つけたくぞある」。
「あこ」とは道真の幼名「阿呼(あこ)」で、「美しいな、紅色をした梅の花は、自分の頬にも付けたくなるよ」という意味。梅を愛する心が色濃く出ているのが、京から大宰府へ向かう(左遷される)際の「飛梅(とびうめ)伝説」。
道真が自宅の梅の木を思い起こして詠んだ「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」。「春の風が吹けば、その香りを太宰府まで届けておくれ、梅の花よ、主の私がいないからと、春を忘れるのではないぞ」という意味。
その梅は一夜にして大宰府まで飛んできたといい、樹齢1000年を超える今も、太宰府天満宮の神木として「飛梅」の名で知られている。
道真の生涯通じた梅への思いがうかがえる。
(次田尚弘/大阪市)