熊野古道で魅力発信 和市推進協議会が発足
和歌山県和歌山市内の熊野古道の環境整備を進め、歴史や周辺の文化財とともに魅力を発信していくため、市は24日、地元自治会などが参加する「市熊野古道推進協議会」を設立し、井ノ口の和佐支所で初会合を開いた。今秋までに古道を示すちょうちんや案内板を設置するなど事業計画を確認し、市内の古道について元市立博物館館長の寺西貞弘さんの講演で学んだ。
今月7日に「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録15周年を迎えたのを機に、登録エリア外の和歌山市内の熊野古道も内外に積極的にPRするため、環境整備を図る。
市内には、大阪府との府県境に位置する滝畑から海南市に隣接する薬勝寺に至る熊野古道が南北に通っており、山口王子や吐前王子、和佐王子などがある。
推進協議会には、沿道の6連合自治会の会長、古道の研究会や整備活動などをしている地元関係者、和歌山市観光協会、市観光課、事務局として市文化振興課が参加し、約20人で発足。宮田真吾市文化スポーツ部長は開会あいさつで「世界遺産登録15周年にあたり、市内の古道の魅力発信にご協力をお願いしたい」と述べた。
事業計画では、古道の歴史を感じることができる王子社跡や沿道の民家など約30カ所に「熊野古道」のちょうちんを掲げ、道の分岐点やカーブミラーなど約10カ所に、古道散策の際に分かりやすいように方向案内板を設置する取り組みを今秋をめどに進めることが決まった。
この他、市ホームページなどで情報を発信し、周辺文化財の紹介を進めることや、市内の古道地図を作成するなどの計画が示され、意見を交わした。
寺西さんは「和歌山市内の熊野古道」と題して講演。記録上の熊野参詣の始まりは907年の宇多上皇にさかのぼり、院政が盛んだった白河上皇から後鳥羽上皇の時代には、後白河上皇の34回を筆頭に、歴代上皇や京都の貴族らが足しげく熊野を訪れていたことを紹介した。
後鳥羽上皇の熊野参詣に同行した藤原定家が記した『明月記』などの文献から読み取れる、当時の参詣ルートなども説明。京都の寒さが厳しい時期の参詣が多く記録されており、「暖かい熊野に参詣することは、京の人々の憧れであり、娯楽の意味もあった」と話した。
和歌山市内の参詣道については、後世には城下町が開けた現在の中心市街地も通るようになったが、紀の川の治水が不十分だった時代においては、滝畑から薬勝寺に至るルートは「水害に遭うことなく通れる中世のメインストリートだった」と解説した。