復元・整備で歴史のまちづくり
前号では、紀州徳川家の祖として知られる徳川頼宣の歴史と、かつて藩主を務めた水戸の地に「紀州堀緑地」と呼ばれる公園の存在を取り上げた。紀州堀は水戸城の外堀の名称。今週は水戸城の成り立ちと現在を紹介したい。
水戸城は水戸市の中心部に位置し、丘陵を利用し建てられた連郭式平山城。城の北を流れる那珂川(なかがわ)、南にある千波湖(せんばこ)を天然の堀とし、西には5重もの堀、東には3重の堀を設け、堅牢な造りとなっていた。石垣はなく、広範囲にわたる土塁で囲まれた土づくりの城で、同じ御三家の名古屋城や和歌山城とは違った構えとなっている。
1190年ごろ、当時この地を治めていた馬場氏により築城。江戸氏、佐竹氏を経て、慶長14年(1609)徳川頼房が水戸に入り、水戸徳川家の居城となった。頼房により三の丸や外堀が拡張され、二の丸に御殿と三階物見という大きな櫓(やぐら)を設けた。
天守を構えることは幕府の方針にのっとり行われることがなかったため、三階物見(角櫓)が天守閣の役割を果たすこととなった。明治以降、三階物見は解体を免れ、市民のシンボルとして親しまれてきたが、昭和20年の水戸空襲で焼失し現存していない。
現在、水戸市は「水戸城大手門、二の丸角櫓、土塀整備基本計画」を策定し、これらの復元・整備を開始。周辺エリアの整備も行われ、歴史的景観の向上により水戸城の魅力を高めようと、工事が進んでいる。完成の際にはぜひ訪れてみたい。(次田尚弘/水戸市)