斉昭を祭る常盤神社

前号では、徳川家康と頼房を祭る水戸東照宮と、斉昭(なりあき)が孝明天皇から戊午の密勅(ぼごのみっちょく)を受けたことに起因する、水戸での永蟄居(安政の大獄)に至る経緯を取り上げた。今週は斉昭の最期と、斉昭を祭る常盤(ときわ)神社を紹介したい。
斉昭が水戸での永蟄居を命じられた安政6年の翌年、自宅の一室に籠る生活が負担となり斉昭は処分が解けぬままこの世を後にする。謹慎生活が心不全の原因となる脚気を引き起こし、満月を観賞し厠(かわや)へ立った後に倒れたといわれることから心筋梗塞が死因とされる。
強い気質で幕末を生き抜いた斉昭の功績をたたえ「烈公(れっこう)」というおくりな(称号)が付けられ、現在の常陸太田市にある水戸徳川家の墓所である瑞龍山(ずいりゅうさん)に葬られた。この墓所は水戸藩2代藩主・光圀が初代藩主・頼房の遺志のもと設けられ、儒教形式の珍しい様式。歴代の当主が祭られ、一般には公開されていない。
墓所以外で斉昭が祭られているのが、偕楽園に程近い場所にある常盤神社。光圀と斉昭を祭神とする神社で、明治の初期、両者の功績をたたえる水戸藩士らにより、偕楽園内に祠堂が建てられたことに始まる。明治6年に社号と両祭神の神号が勅旨により定められ、明治7年に社殿が造営された。境内には、斉昭の腹心として知られる水戸藩士・藤田東湖(ふじたとうこ)を祭る東湖神社もある。
偕楽園東門からすぐ。斉昭の生涯を感じることができ、偕楽園と同時に訪れたい。 (次田尚弘/水戸市)