県建築士会館など4件 国登録有形文化財に
和歌山県和歌山市卜半町の「県建築士会館」、同市和歌浦南の「北山家住宅主屋」、新宮市新宮の「旧チャップマン邸」の3カ所、4件の建造物が国の登録有形文化財となる。国の文化審議会(佐藤信会長)が文部科学大臣に答申した。今回を含めて県内の登録数は95カ所、270件となる。
県建築士会館は県建築士会が所有するオフィスビル。同会は1952年(昭和27)に設立され、しばらくは他の設計事務所内に事務局を置いていたが、61年の総会・理事会で新たな会館の建設を決定し、県有地の払い下げを受け、65年5月に起工、66年11月に竣工した。
設計は富松(とまつ)建築設計事務所、雑賀建築設計事務所の共同で行い、施工は原庄組が請け負い、建設費は総額3750万円。意匠設計を担当した富松助六は、後に県民文化会館の設計を手掛けた。
鉄筋コンクリート造り、3階建て、正面と背面にタイルを張り、真四角の窓が整然と並び、側面はコンクリート打ち放しで仕上げている。全体に凝った意匠は見られないが、柱と壁面を分離し、窓をタイル割りに合わせ、外観を整えるために立樋を内樋にしたことにより、軽快で細やかな外観を形作っている。
戦後モダニズムオフィスビルの一つの典型的な例として、現在もその姿がよく保たれており、現存する富松の作品の一つとしても貴重であるとされている。
北山家住宅は、元は大谷家の住宅として昭和初期に建設された。大谷家は水産加工業を営み、和歌浦の商店街「明光通り」で販売する押しずしを作っていたという。昭和前期には家業は成功を収め、当時〝千両普請〟といわれたこの住宅を建てた。
和歌浦南の住宅地を北西から南東へ抜ける通りの角地に屋敷を構え、主屋は北西に面して建ち、西側には駐車場、屋敷内の南東には庭園が造られている。
主屋は木造2階建て、入母屋造(いりもやづくり)、瓦ぶきの建築。外観は、1階は真壁(しんかべ)造、しっくい塗り、2階は外壁材のサイディングを張った大壁造だが、かつてはしっくい塗りだった。1階正面は出格子を構え、出格子周りはヒノキの良材が用いられている。
1階は大引き天井の実用的な部屋で、2階には良材を用いた8畳の座敷がある。床の間周りは端正な意匠で、床框(とこがまち)は黒柿、床柱は杉の磨き丸太とする。床脇には違い棚、天袋をしつらえている。
建築年代は不明だが、90年ほど前と伝わっている。良材を用いた質の高い近代和風の住宅で、外観は過度な装飾要素はないものの、和歌浦南の歴史的景観の形成に寄与している。
旧チャップマン邸は、東京の文化学院の創設に関わり、大正期の住宅改良で活躍した新宮市出身の建築家、教育家の西村伊作(1884~1963)が設計し、26年(大正15)に建設された。
チャップマンは米国長老派教会から派遣された宣教師で、17年に来日、20~40年は新宮に定住し、プロテスタントの布教に努めた。住宅は西村の自邸(現・重要文化財)の筋向かいにあり、チャップマンは西村の家族とも親しく交流していたという。
主屋は木造2階建て、切妻造り、スレート(硬質木片セメント板)ぶきの洋館。建物のほぼ中央に正面玄関とホールを設け、各部屋に通じる。1階は南東の部屋をリビングとし、南に半8角形のベイウインドー、西に暖炉などを配し、北側はダイニングに続く。2階は階段ホールを中心に、寝室や学習室、浴室などからなっている。
西村が提唱した居間中心型の住宅であり、敷地の外郭の石垣や石段も主屋と同時期に造られ、石張りの門柱が立つ。
西村が設計した住宅の一つとして重要であり、向かい合う重要文化財・旧西村家住宅とともに、歴史的景観を形作っている。