国登録文化財に県内4カ所 旧制和歌山中など
国の文化審議会(佐藤信会長)は17日、和歌山県和歌山市の旧制和歌山中学校(現桐蔭高校)、向井家住宅、旧加太砲台と、紀の川市の山﨑家住宅の計4カ所、12件の建造物を国登録有形文化財とするよう萩生田光一文部科学大臣に答申した。今回を含めて県内の国登録有形文化財は99カ所、282件となる。【写真は県教育委員会提供】
モダンな同窓会館 皇太子が野球観戦
旧制和歌山中学校(和歌山市吹上)で登録される建造物は、図書館(現同窓会館)と運動場スタンドの2件。
同校は1879年に最初の県立中学校として真砂町に開校し、1915年に現在地に校舎を新築。図書館は29年に開校50周年記念事業として保護者の寄付金で建設された。鉄筋コンクリート造、平屋建て、平面の陸(ろく)屋根のモダンな意匠の近代建築で、78年に同窓会館として改修されたが、旧閲覧室部の外観はよく残されている。
運動場スタンドは、22年に同校野球部が全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)で2年連続優勝を果たした直後、県や市、有志からの寄付によって建設されたコンクリート製の観客席。皇太子時代の昭和天皇が初めて野球観戦をした記録が残っている。
葛城修験の迎ノ坊 歴史的景観に寄与
向井家住宅(同市加太)は、鎌倉時代後期以降、葛城修験の一之宿だった伽陀寺の別当職を務め、「迎ノ坊(むかえのぼう)」と呼ばれる。本山派修験道の本山、京都の聖護院との関わりが強く、現在も同院の城入峰の際には同家に立ち寄っている。
屋敷は旧淡嶋街道に面し、登録される建造物は主屋、土蔵、表門及び袖塀、塀の4件。主屋は万延元年(1860)に建設された木造、平屋建て、入母屋(いりもや)造り、瓦ぶきで、整形四間取形式の伝統的な住宅の造りをよく保っている。
土蔵は主屋とほぼ同時期、表門や塀は昭和前期の建設で、中世から続いてきた葛城修験との関わりを残しつつ、加太の街並みの歴史的景観に寄与する貴重な文化財といえる。
明治期の陸軍施設 実戦使用はされず
旧加太砲台(同市加太)は、大阪湾の海上防衛のため、旧帝国陸軍が明治後期に設けた由良要塞の一部。加太市街地の南の山上に砲座4門を備えたが、一度も実戦で使用されることはなかった。
登録される建造物は弾廠(だんしょう)と厠(かわや、トイレ)の2件。いずれも木造、平屋建てで、弾廠の用途は不明だが、名称から、砲弾に火薬を詰める作業をした場所と考えられる。
2017年に市が国から取得し、当初の姿に復元。市立青少年国際交流センターに付属する砲台の展示施設として活用されている。
大正期の経済人宅 随所に上質の意匠
山﨑家住宅(紀の川市粉河)は、和歌山市内で綿ネル業を経営していた山﨑家が構えた屋敷で、JR粉河駅の北側にあり、現在はカフェやイベント会場として活用されている。
登録される建造物は、主屋と南蔵、北蔵、塀の4件。
主屋は1917年に上棟した入母屋(いりもや)造り、2階建て、瓦ぶきで、東の大広間部分は平屋建て、北に次の間6畳、床の間と違い棚を備えた8畳の座敷が続く。大広間は座敷飾りを備え、壁は金唐紙を貼るなど、極めて豪華な造りとなっており、2階の北西の8畳間は、天井が特徴的な傘形に張られている。
伝統の意匠をベースに、形式にとらわれない質の高い意匠が随所にあり、洋風も導入するなど、近代和風建築としての特色を備えている。