蔵から貴重な資料見つかる 写真家の島村逢紅
和歌山市の写真家、島村逢紅の展覧会(23日~12月19日、県立近代美術館)開催のきっかけとなったのは、島村家の蔵からオリジナルプリントや写真のネガに当たるガラス乾板(かんぱん)など、膨大な資料が見つかったこと。10年前にも約3000点の資料が発見されていたが、ことしの春、さらに多くのガラス乾板などを発見。展覧会に向けて大きく動き出した。
「日本の写真界の大発見」――。眠っていたその貴重な資料に、今回、作品の検証やデジタル化に携わる田中公康さんは目を丸くした。蔵に足を踏み入れた学芸員も、思わず声を上げたほど。運び出された資料は合計でプリント写真約5000枚、ガラス乾板約3000枚。愛用のカメラ、写真雑誌などを含めると優に1万点を超えた。
これほどまとまった数の、保存状態も良い戦前の資料は極めて貴重という。当初は同市本町にあった逢紅の自宅で保管していたが、1927年ごろ、逢紅が購入した現在の堀止東の洋館に運んだため、戦禍を免れたことも大きい。
そこに刻まれた像は静かで叙情的。ガラス乾板からは、さまざまな試みの跡が見てとれた。逢紅が追い求めたのは、光と影の表現。特に、室内で花や調度品などを題材にした静物写真は作品としての完成度が高く、黒を基調とした独自の世界観を生み出している。
逢紅の父・安次郎は酒造業や鉄道業などを手掛ける実業家で、保田龍門や川口軌外、川端龍子ら郷土画家を支援。「芸術家と交流があったため、美術への関心が高く、画集で学んだことが後の写真に役立ったのでは」と、逢紅の孫で、逢紅が創立した写真クラブ「木国写友会」の会長を務める島村安昭さん(72)は話す。
安昭さんが生まれた頃、すでに逢紅は亡くなっていたため、祖父との思い出はない。逢紅と同じく、和歌山の写真界をけん引してきた父の安彦さんに聞いた話によると、ある日、安彦さんが休日に電車に乗って大阪まで向かう途中、車窓から紀の川の土手で、カメラを構える逢紅を見掛けた。用を済ませ、夕方に帰りの電車で外に目をやると、朝と同じ場所にいる姿を見て驚いたという。
「父も沖縄の水族館に通い、自分が『今だ』と思う瞬間を狙って動かなかった。そんな部分は似ているのかもしれませんね」とほほ笑む。
「当時、一枚の作品をつくり出すのは、技術も必要で大変だった。季節や時間など、太陽が差し込む角度を考えて、光や影を捉える。それは近代写真の原点かなと思います」
逢紅の黒の表現に感銘を受けたという田中さんは「昔も今も、工夫しながら自分の表現を追い求めた。こういう人がいたことは、和歌山の誇り」と話す。
逢紅は海外の写真年鑑や雑誌も数多く収集。クラブの例会には各地から写真界の著名人を招いて交流を重ねていたといい、田中さんは「資料からは、当時の和歌山は写真の最先端をいっていたことが分かる。いま、和歌山で写真を撮る方にとっても大きな自信になるのでは」と期待。「逢紅さんの実像に迫る序章。全国的に見てもかなりセンセーショナルな展覧会。『昔の写真』ではなく、今見ても新しく現代に通じるものがたくさんある。時代や機材に関係なく、こんな創意工夫、物の見方があったのか、と参考になるはず」と話す。
安昭さんは「父も天国で喜んでいると思います。私たちも見たことのない、どんな写真が並ぶのか楽しみ。展覧会をきっかけに、若い世代で写真の道を志す方が現れれば、それほどうれしいことはありません」と願っている。