畿内と四国を結ぶ洲本の歴史

洲本市の中心市街地から洲本城跡を望む
洲本市の中心市街地から洲本城跡を望む

前号より、海でつながる和歌山市の隣町である洲本市を取り上げている。今週は洲本市の歴史を紹介したい。

淡路島は平安時代まで朝廷に海産物を献上していた「御食国(みつけくに)」の一つ。古くから畿内と四国をつなぐ要衝として栄えてきた。市内の由良地区から紀淡海峡を隔てた和歌山を経て、平安京に至っていたという。

室町時代の末期には熊野水軍の安宅(あたぎ)氏により「洲本城」が築城され、淡路島一帯を治めるも、豊臣秀吉の淡路攻めにより滅亡。以降は秀吉の最古参の家臣として知られる仙石氏の居城となり、やがて徳島藩主・蜂須賀氏の支配下に入る。

当時、由良地区が淡路国の政治の要衝であったが、発展とともに手狭になったことを機に現在の洲本市の中心市街地へと城下町の機能を丸ごと移転。これを「由良引け」という。以降、淡路島全域を治める拠点となり現在に至る。その後も由良地区は海運の要衝として栄えた。

廃藩置県後、淡路島は兵庫県と徳島県に分割。一時期は徳島県に属するも、明治9年に島の全域が兵庫県の管轄となる。かつての城下町に紡績工場が建設されたことで、島内の商工業の中心となり、大正末期には淡路島を横断する鉄道が開通した(1966年に廃止)。

85年(昭和60)の大鳴門峡開通により四国と、98年(平成10)の明石海峡大橋開通により本州と陸続きとなったことで、アクセスが大幅に向上。海の幸に恵まれ、風光明媚(めいび)な土地柄から京阪神を中心に多くの観光客が訪れている。

大阪府岬町の深日港と洲本港を結ぶ定期船が廃止されてから、和歌山からのアクセスは優れないかもしれないが、歴史をたどると和歌山とのつながりがある。(次田尚弘/洲本市)