全身の埋葬骨見つかる 県立医大生参加の沖縄戦遺骨収集

全身が残されていた埋葬骨(日本法医病理学会提供)
全身が残されていた埋葬骨(日本法医病理学会提供)

太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった戦没者の遺骨収集事業に、和歌山県立医科大学医学部法医学講座が参加した。8回目となった今回の取り組みの成果発表が10月30日、同医大で行われ、参加した医学部4年生の宗川桃子さん(22)と近藤稔和教授は、ほぼ全身が残っている非常に珍しい埋葬骨を含む3~4人の遺骨や、旧日本軍の備品の一部などの遺品が発見されたことを報告した。

遺骨収集事業について報告する宗川さん㊧と近藤教授
遺骨収集事業について報告する宗川さん㊧と近藤教授

1945年夏の沖縄では激しい地上戦が行われ、日米の軍人や戦闘に巻き込まれた民間人を含む約20万人が亡くなったとされる。日本の軍人や民間人は「ガマ」と呼ばれる自然洞窟や山中などの過酷な環境で生活しながら戦火の日々を過ごし、現在も2600人以上の遺骨が見つかっていないとみられている。

近藤教授は日本法医病理学会の理事長を務め、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の依頼を受け、2018年から遺骨収集事業に協力。今回は、県立医大から宗川さんら学生2人を含む6人、他大学の教授、学生を合わせて総勢27人が参加し、8月23日に沖縄本島南端部の糸満市束里の山中を調査した。

今回の調査で特筆されるのは、横たわった状態の全身の埋葬骨が見つかったこと。高温湿潤の環境に長くさらされた遺骨は激しく損傷していることが多く、これまでの調査では、土砂をふるいにかけて骨片を探し出す作業などが行われており、全身が発見されることは極めてまれという。

遺骨は20代後半から30代の男性とみられ、身長は165㌢前後。遺留品として軍服のボタン、ガスマスクの一部、銃弾が見つかり、日本兵と考えられる。

近くから他に、2~3人とみられる苔むした複数の腕や足の骨も発見された。砲弾の破片とみられるさびた金属片、ベルトのバックル、野戦電話機の一部なども見つかり、陶器の破片があったことから、軍人を含む複数人が生活していたことも想像される。

近藤教授は「当初は学会の社会貢献として参加を始めた取り組みだが、学生たちが教科書や授業では教えられないことを学ぶ機会となっている。医療人として大きな経験になる」と学生参加の事業の意義を語った。

昨年から2年続けて参加した宗川さんは「亡くなったほぼそのままのご遺骨を目にして、ここで戦争が行われていたということを、昨年よりリアルに、強く感じた。山中は本当に静かだが、80年前は銃撃の音などが聞こえていたはず。静かに横たわっている姿が、戦争があったことを伝えているように思った」と振り返り、「他の学生もぜひ参加してほしい」と話していた。