二毛作による、淡路の「玉ねぎ栽培」

前号では、鮮度が命である「鰆(さわら)」を生で食べる洲本の文化を取り上げた。淡路島で誰もが知る特産品といえば「玉ねぎ」。洲本に隣接する南あわじ市は、農業産出額(生産量と販売価格を掛け合わせた金額)が関西の市町村で第1位を誇り、その額は年間250億円に及ぶ。第2位の紀の川市(年間約190億円)を上回る淡路島の農業の仕組みを紹介したい。
淡路島での玉ねぎ栽培は明治21年(1888)に始まった。元々、玉ねぎは日本固有の作物ではなく、そのルーツはアメリカにある。日本に持ち込まれたルートは二つあり、一つは北海道。農学校で栽培指導が行われ一大産地として根付いていった。もう一つは神戸。泉州地域の農家が外国人居留地に住むアメリカ人から種子を入手し栽培。神戸や大阪の洋食店に卸すルートができ、関西近郊の地域に栽培地域が広がった。
淡路島は温暖な気候で日照時間が長いことから、寒さが苦手な玉ねぎにとって栽培に適した土地柄。また、降雨が少ないことから水分の吸収が抑えられ甘さが凝縮。さらに、四方を海に囲まれミネラルを豊富に含む土壌と水はけの良さがマッチした。
農業産出額が高い理由は稲作との二毛作に起因する。水と土地に限りがある島ならではの工夫として、江戸時代から高度な水利システムが整っていたことで、初夏から秋にかけては稲作、稲刈り後は次の田植えまで玉ねぎを栽培する、二毛作が成立した。
また、稲作により土壌に含まれる有機物が分解され、玉ねぎの連作障害を抑える仕組みや、稲作で発生した稲わらを畜産に利用し、排出された堆肥を農地の土壌改良に使うことで、循環型のシステムが確立。年間を通じて農地を活用し続けることが、高い農業産出額に貢献している。(次田尚弘/洲本市)

