炎に包まれる恐怖 語り継ぐ記憶、山本ウツ美さん

炎の中を逃げた体験を語る山本さん
炎の中を逃げた体験を語る山本さん

「燃えてまっせ、はよ出てきなはれ!」――。夜空が異様な光に染まる中、防空壕にいる山本さん家族に避難を促す声が響いた。和歌山駅から六十谷への道は、逃げ惑う人で埋め尽くされていた。

和歌山市中之島で工場を営む家庭に生まれた。父は海軍のパイロットだったが、山本さんが生まれて2カ月後に戦死。汽車の機関庫があった中之島は標的になるとみなされ、和歌山大空襲の7日前、地蔵の辻周辺へと強制疎開させられた。

空襲の夜。爆撃の中、家族は命を守るため、二手に分かれて闇夜へ飛び出すしかなかった。頭から夏布団をかぶせられ、一番いい革靴を履かされて祖母に手を引かれた。油脂焼夷弾が雨のように降り注いだ。アスファルトの路上にたたきつけられたゼリー状の油が四方へ飛び散り、一瞬に周囲を火の海に変えた。

次の瞬間、かぶっていた布団に油が飛び火。水で消せないゼリー状の炎は布団に燃え広がり、一瞬で足元から肌を焦がす熱さへと変わった。恐怖で頭が真っ白になる中、山本さんを引き寄せた祖母は迷うことなく近くの田んぼへと飛び込んだ。水と泥で火を消し止めた。一歩間違えば全身を焼き尽くされていたであろう炎の勢い、足元から燃え上がってきた熱と恐怖は、今も、さっき起きたことのように、鮮明に山本さんの体に刻まれている。命からがらたどり着いた避難先で家族と再会。母は焼け野原となった和歌山市の方角を指差し、「おてんす(和歌山城天守閣)ないやんか」と泣き崩れた。

「怖い思いをしたけれど、家族と会えたときは本当にほっとした。あの時の惨状と、家族が生きて再会できたことは一生忘れません」