片男波に埋められた尊い命 語り継ぐ記憶、中井喜美代さん

和歌浦の旅館街は、治療を求める負傷者であふれ返っていた。中井さんの実家「木村屋」は医師や看護師の拠点となり、幼かった中井さんの脳裏には、当時の異様な光景が今も鮮明に残っている。
1945年7月9日の夜、和歌山大空襲の炎が街を焼き尽くす中、近所の人たちと和歌浦のトンネルへと逃げ込んだ。ぎゅうぎゅう詰めの暗闇の中で震えた恐怖。だが、本当の悪夢は空襲が終わった後だった。
「父がよく『きょうも人亡がくなったんで』と言っては、リアカーに乗せて片男波の方へ埋めに行っていたんです」
毎日のように4人、5人と、旅館で力尽きた人々をリアカーで運ぶ父の背中。幼い中井さんは、その姿をただ茫然と見守るしかなかった。
「父がまたあのリアカーを引いていくんやなと思って。かわいそうに、どうしてこんなことにならなあかんのやろと、幼な心にも深い悲しみが刻まれました」
道端で亡くなる人も多かった時代、父の手で葬られた人々は、まだ救われていたのかもしれない。
「あの時、亡くなった方々のことを思うと、今も胸が痛みます。戦争は二度と繰り返してはいけない。今の平和な時代が、いつまでも続くことを祈るばかりです」


