炎の街と銃口の恐怖 語り継ぐ記憶、木村佐起子さん

平和の尊さを伝える木村さん
平和の尊さを伝える木村さん

和歌山大空襲の足音が近づく頃、木村さんは、親戚を頼って紀の川市の粉河へ疎開していた。

大空襲の日、夜中に起こされて和歌山の方向を見ると、和歌山市の空のその上までが「真っ赤っか」に染まっていた。

遠く離れた場所からでも火の勢いが伝わってくるようなその光景に、幼心にも事の重大さを感じた。

疎開先での生活も、決して安全なものではなかった。ある日、道を歩いていた木村さんの頭上で、戦闘機がすさまじい轟音とともに急降下してきた。操縦席のパイロットがなびかせる白いマフラーがはっきりと見えるほどの超低空。敵兵は機上から地上を見下ろし、こちらを「にらみつけていた」。

その視線と重なるように銃口が火を吹き、機銃掃射の銃弾が容赦なく浴びせられた。すぐそばのセメントやタイヤがバリバリと音を立てて弾け飛び、土煙が上がる。目の前で死と隣り合わせになったその瞬間の恐怖と、機銃の激しい轟音は、子ども心に計り知れない衝撃として深く刻み込まれた。

空からの攻撃は日常と化し、村では機銃掃射で命を落とした牛を村人たちで分け合って食べたこともあった。

「あんな怖い思いを、二度と子どもたちにさせたくない。くぐり抜けてきたあの時代があるからこそ、今の静かな暮らしが何より大切に思えるんです」